「釜めし屋の子」への反発と覚悟の継承。
荻野屋6代目が語った綺麗事抜きの経営論

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高崎駅の喧騒を忘れさせる、出汁の優しい香り。荻野屋の直営店「群馬の台所」で対峙した荻野屋6代目・高見澤志和社長の言葉は、老舗の暖簾をくぐる前の想像を心地よく裏切るものだった。

「地域を守り続けるためには、まずビジネスとして成功しなければならない」
「仕事を最優先するのは、従業員とその家族の生活を守るための宿命」

かつて「釜めし屋の子」というレッテルに抗い家業を拒絶した青年は、なぜ今、誰よりもシビアにビジネスと向き合うのか。創業140年の重圧を背負うリーダーの、飾らない本音と覚悟に迫った。

loconomiQ 編集長 ソウルドアウト株式会社
北川 共史 TOMOFUMI KITAGAWA
専務取締役 COO グループ執行役員

1984年北海道札幌市生まれ。2007年に株式会社オプトへ入社し、ソウルドアウト創業に参画。営業領域の責任者として全国の中小・ベンチャー企業支援を拡大し、ソウルドアウトの東証マザーズおよび東証一部上場に貢献。その後、CROやマーケティングカンパニープレジデントを歴任し、2024年より専務取締役COOに就任。
現在は「ローカル×AIファースト」戦略のもと、全国拠点展開とデジタル活用を通じて地域企業の成長を後押しし、日本経済の持続的な活性化に取り組む。

目次

「釜めし屋の子」というレッテルへの反発と家業を継ぐ覚悟

幼少期に、事業の本拠地である横川で過ごされた原体験は、現在、高見澤社長の「人」や「地域とのつながり」を定義するうえで、どのような影響をもたらしていますか。

幼少期から「食」については常に言われ続けて育ったので、現在の食に対する考え方や自分がやりたいことに影響していると思います。一方で、それが経営観にまで影響しているかと言われると、自分でもわかりません。

中学生や高校生の頃は、どこへ行っても「釜めし屋の子」というレッテルがついて回り、自分自身を見てくれない感覚があったので、正直嫌で仕方ありませんでした。ある種の「有名人」のような扱いが本当に煩わしかったのです。反抗期には「早くここから出たい」「自分で生きていきたい」という思いが強かったですね。

お父様との関係性はどうだったのでしょうか。

父は非常に厳しく、自分の考えを押し付けるタイプでした。例えば、当時はテレビゲームが流行っていましたが、うちは禁止。「家でゲームなんかしてないで外で遊べ」と。そういった一方的な抑圧への反発心は強かったですね。 親子関係は決して良好とは言えませんでしたが、常に「家を出たい」という思いの根源には父の存在がありました。

父が仕事やゴルフで家にいない時の方が、「チャンスだ、ゲームができる」と嬉しかった記憶があります。母は見て見ぬふりをしてやらせてくれたりして、そこは救いでしたね。

そこからロンドン留学を経て、家業を継ぐことになった経緯を教えてください。

ロンドンへは、父との対立の末、「家を出るか、ロンドンへ行くか」という究極の選択で半ば強制的に行かされました。大学卒業後、資格試験に落ちて就職もせずプラプラしていた時期に、見かねた父から詰め寄られたのです。

ロンドンでの生活は非常に貴重な体験になりましたが、「ここで仕事に就いてなにかやりたい」といった思いはなく、日本に帰って仕事がしたい気持ちが強くなりました。最終的には母や周囲の説得、そして父が亡くなったことをきっかけに「自分がやるしかない」と、家業を継ぐ覚悟を決めました。

先代がいなかったからこそ進められた守りなき決断と改革

事業承継について、親子関係や先代との対立に悩む経営者も多いですが、高見澤社長が感じたことはありますか。

私の実体験ですが、父が亡くなって口出しする人がいなかったからこそ、スムーズに改革を進められたと思います。 もし父が会長職などに就いていたら、絶対に喧嘩になっていたと思います。

例えば「峠の釜めし」の容器を変えるという決断一つとっても、父なら「温かい釜めしこそが価値だ」と猛反対したでしょう。時代に合わせて本質的な価値を変えていく必要があっても、親子だとどうしても感情が先走ってしまい、論理的な議論にならないことが多いのです。

先代の「経験」や「人脈」を活用できないというデメリットはありませんでしたか。

もちろん、それはありました。先代が生きていれば使えたはずの人脈や、守ってくれる防波堤がないわけですから、すべて自分で試行錯誤するしかありませんでした。 ただ、その「守り」がない分、自分で考えて決断し、責任を取るという覚悟は早くに決まりました。結果として、組織の変革スピードは上がったのではないかと思います。

経営者同士のコミュニティや勉強会などには参加されているのでしょうか。

最近は全く行かなくなりましたね。 必要な情報はインターネットやAIでいくらでも手に入りますし、今は必要としていないのかもしれません。昔から付き合いがある人とのネットワークや、実務の中で出会うパートナー、具体的なプロジェクトで繋がる人々との関係の中で情報交換する機会の方が多くなってますね。

「地域貢献」はあくまで結果論。経済的な裏付けがなければ地域は守れない

現在、「地域への貢献」や「文化を守る」という使命感はどのように捉えていますか?

誤解を恐れずに言えば、使命感が先にあるわけではありません。

まずはビジネスとして成功させること、会社を成長させることが最優先です。 その結果として、地域が潤い、雇用が生まれ、地域貢献につながる。順序としては「ビジネスの成功」が先で、「地域貢献」は後からついてくる結果論だと思っています。きれいごとではなく、経済的な裏付けがなければ地域を守ることはできませんから。

都心に拠点を置く企業が得られないような、地域にいるからこそ意思決定や経営観に与える影響はありますか。

もちろん、地域にいるからこそ、その地に根差してコミュニティが生まれたり、同じ想いを持つ人がいたりして、それが発展につながっていくことはあると思います。

一方で、やはり都心に比べるとどうしても視野が狭くなりがちだと感じます。多様な価値観や新しい情報に触れる機会はどうしても少ない。だからこそ、私は積極的に外に出て、多様な人と交流し、視座を高く保つように意識しています。地域に根を張りつつも、視点は常に外に向けておく。そのバランス感覚を失わないように気をつけています。

ローカルで事業をする合理性についてはどのようにお考えでしょうか。

正直なところ、明確なメリットは「家賃・不動産が安い」ことくらいですね。人件費も都心よりは安いですが、その分、人材確保は非常に難しい。「給料が高いから」という理由だけで人が来る時代ではありませんから。

ただ、離職率は圧倒的に低いです。東京の店舗は流動性が高いですが、地元では社員140人のうち、年間で辞めるのは10人以下。離職率は10%を切っています。良くも悪くも保守的で、次々と転職する文化がまだ定着していないことはあります。

老舗企業に特有の属人化しやすい文化も残ってはいますが、キーパーソンはいても特定の人に依存しなければいけない体制ではなくなっています。

「仕事ファースト」は経営者の宿命。父がくれなかった選択肢を次世代へ

「地域に根差した老舗企業のリーダー」として、仕事の厳しさと家族と過ごす時間のバランスについてはどのように追求されていますか。

ものすごく難しい問題だと思いますが、基本的には「仕事ファースト」です。もっと仕事に集中したいという思いもあります。

家業が傾けば、家族も守れません。従業員とその家族の生活も背負っていますから、優先順位は圧倒的に仕事が高い。家族より仕事を取るような昭和的な考えかもしれませんが、経営者としての宿命だと思っています。

ただ、父の時代とは違い、妻や子供との時間も大切にしようとはしています。父が自分にしてくれなかったこと、自分が嫌だったことは反面教師にしていますね。

具体的にお子さんとはどのように接していますか?

今は昆虫採集が趣味で、関連する動画を一緒に見たり週末は一緒に昆虫採集に行ったりしています。 自分が父に「選択肢」を与えてもらえなかった経験から、子供には多様な選択肢を用意してあげたいです。

英語も自然体験も無理強いはせず、その中から彼らが自分で「これが好きだ」と思えるものを選び取ってくれればいいと思っています。

最後に、ご自身の将来のビジョンをお聞かせください。

子供が立派に育ってくれれば、それが一番です。幼少期のうちに家業に携わる機会があると、家族や仕事に対する思いが強くなるとしている研究論文もあり、自宅のある東京から群馬へは頻繁に連れてきているのですが、「継がせたい」というこだわりは全くありません。

もし彼らが大人になって外の世界で、うちの会社以上に稼げる仕事を見つけたなら、そちらを選んでほしいですし、この荻野屋の仕事をやりたいと言うのであればそれはそれで良い。選択肢を潰さないであげたいと考えています。

経営者としては、会社を成長させ続けること。そして、そのプロセスで出会う人々やネットワークを大切にしながら、自分自身も変化し続けていきたいですね。

本日はありがとうございました。