加古川から歩み続けた商売人人生。
卸からメーカーへ、社員とともに世界へ

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関西の生粋の商売人。そんな言葉がしっくりくる、アサヒ物産株式会社の創業者で代表の大西能久さん。貫禄のある佇まいで、とても大らかな笑顔とともに私たち取材班を迎えてくれた。

兵庫県加古川市に本社を構えるアサヒ物産は、食品の卸に加え、製造・開発も手がけるメーカー機能も備えた企業だ。同社は、「100億宣言」(中小企業庁が2025年より開始した、売上高100億円という野心的な目標を目指す中小企業を応援するプロジェクト)を掲げている。

創業から38年。挑戦の歩みを止めることなく、加古川から全国、さらには海外進出を見据える大西さんにお話を伺った。

loconomiQ 編集長 ソウルドアウト株式会社
北川 共史 TOMOFUMI KITAGAWA
専務取締役 COO グループ執行役員

1984年北海道札幌市生まれ。2007年に株式会社オプトへ入社し、ソウルドアウト創業に参画。営業領域の責任者として全国の中小・ベンチャー企業支援を拡大し、ソウルドアウトの東証マザーズおよび東証一部上場に貢献。その後、CROやマーケティングカンパニープレジデントを歴任し、2024年より専務取締役COOに就任。
現在は「ローカル×AIファースト」戦略のもと、全国拠点展開とデジタル活用を通じて地域企業の成長を後押しし、日本経済の持続的な活性化に取り組む。

目次

22歳、商売人としての道を歩みはじめる

大西さんは大学生だった22歳のときに起業され、経営者としての人生を歩んでこられました。はじめに事業を興されたときの思いや、当初どのような事業に取り組まれていたのかを教えてください。

「商売をしたい」。そのシンプルな思いと、「自分はどこまでいけるのか」という気持ちから商売をはじめました。

起業当時は、遊ぶような感覚で仕事をしていましたね。朝は好きな時間に起きて働いて、夜は翌朝まで飲んでまた働いて。そんな自由な生活を送っていました。

最初は、ギフトカタログを使った訪問販売で起業。その後、各飲料メーカーが自動販売機事業を本格的に立ち上げはじめた頃、自動販売機のオペレーター事業を開始。徐々に商品を「仕入れる力」を身につけることができ、卸売をはじめました。大手飲料メーカーとの信頼関係を築きながら、三次卸から二次卸、そして特約店へと進出し、近畿地方でトップクラスの取扱量になるまで成長できましたね。

自動販売機の事業のほかにも、友人や知人から仕事を頼まれることが多々あり、いろいろな商売を手がけてきました。

「スーパーが閉店するから引き継いでくれないか」という話が舞い込んできたときには、在庫ロスも減らせると考えてスーパーの経営をはじめましたし、美容室を立ち上げた幼馴染から「スタッフが定着しない」と相談されたときには、美容室の経営を引き受けました。

人とのご縁をきっかけに、商売がどんどん広がっていきました。本当にありがたい限りです。

次々と新しい事業に挑戦されてきたのですね。大西さんの商売との向き合い方には、「商売の嗅覚」があるように感じます。その感覚はどのように磨かれてきたのでしょうか。

「こんなんあったらおもろいな」「あそことやったら、うまいことできそうやな」と、日頃から想像を膨らませています。「商売人のアンテナ」ですね。

そして、いいタイミングが来たら迷わず踏み込む。その繰り返しで今があります。

会社の行動指針の最初に掲げているのが、「己 他人にうそをつかない 自分自身であれ」という言葉です。素直な心でまっすぐ向き合っていれば、人も仕事も自然とつながっていく。無理に合わせなくても、自分に合わない人は離れていき、ご縁のある人は商売を連れてきてくれます。

ご縁や人とのつながりを大切にされてきた姿勢が印象的です。それでも判断に迷ったときの決め手はありますか。

一言でいうと「おもろいか、おもろないか」です。正しいかどうかよりも、そこから事業が広がるイメージをもてるかどうかを大切にしています。

「この話、あのメンバーに任せたら活きるんちゃうか」「これをはじめたら、次につながるかもな」。そんなワクワクを感じられるかどうか。商売は、難しく考えるよりもどこまでもシンプルがいい。それが私の判断軸です。

これまでに酒蔵を買ったこともありますし、美容室を買ったこともあります。一見すると全く関係のない商売に思えたり、数字だけみるとマイナスの結果になっていたりするかもしれません。

ですが、異なる業界の人との出会いや、そこで得た経験は、必ず将来につながっていきます。商売に失敗はありません。すべてが積み重ねです。

卸からメーカーへの転換。自分たちで情熱をもって作って売る

アサヒ物産の事業は、自動販売機のオペレーターからはじまり、卸売、そして現在では製造・開発を手がけるメーカーへと拡大してきました。どのような背景があったのでしょうか。

卸売を続けるなかで、「このままでは将来がない」と感じる場面が次第に増えていきました。

町には大手量販店やコンビニが増え、得意先であった小さな商店は、閉業や統合を余儀なくされていく。そうなると私たち卸売の出番は年々減っていくばかりでした。そこに少子化が重なり、国内市場は縮小する一方。このまま続けていけば、先細りする未来が目に見えていました。

さらに卸売の仕事は、どうしても個人の機転や才能に依存してしまう部分が大きいと思います。成果が個々の素質に左右されるので、組織として、経験やノウハウを積み上げにくい。継承という点でも、難しさを感じていました。

どれだけ数を売るか。価値よりも価格。安く仕入れて安く売る。いわば価格勝負の卸売の構造に、次第に「なんか違うよな」という違和感が強くなっていったんです。

追い打ちをかけたのが、タイで委託製造していた清涼飲料を量販店に卸していたときのことでした。ようやく軌道に乗りはじめた矢先、他社がさらにコストの安い国で製造し、同じような商品を売りはじめたんです。価格競争に巻き込まれていきました。

「このままでは将来はない。自分たちで商品を作り、独自の価値で勝負するしかない」そう腹をくくりました。

自分たちが作った商品を、情熱をもって売る。そのほうが絶対におもしろいし、商売として長く続けられる。こうしてメーカーへの転換を決めました。

価格競争に陥らないためには、差別化できる自社商品が必要だと考えられたのですね。そのなかで、クロワッサン鯛焼き「果香音 -かかお- 」はどのように生まれたのでしょうか。

「果香音 -かかお- 」は、もともと岡山のある会社が手がけていた商品です。のちに事業譲受という形で、アサヒ物産の自社商品になりました。

私が初めて「果香音 -かかお- 」に出会ったとき、「これはいい商品だ」と直感的に感じていたんです。しばらく経って偶然のご縁が重なり、製造元の会社の社長と、飲み屋で出会いがありまして。話をするなかで卸先の開拓に苦労されていると聞き、私たちが手配して、得意先の大手スーパーでの取り扱いが決まりました。

それから2、3か月ほど経った頃、その会社の役員から「会社の先行きが厳しく、菓子製造部門を譲渡したい」という相談を受けました。「果香音 -かかお- 」は、付加価値をしっかりつくれる商品。以前から魅力を感じていたこともあり、事業譲受を決断しました。

そのような流れがあったのですね。現在、私たちソウルドアウトは「果香音 -かかお- 」の認知拡大のお手伝いをさせていただいています。そのなかで「トースターで1分半焼いて食べてほしい」という言葉をパッケージに記載することを提案し、季節限定の商品で採用いただきました。様々な意見があったと思いますが、どのような判断のプロセスがあったのでしょうか。

「果香音 -かかお- 」の最大の特長は、クロワッサン生地です。そのおいしさが最も引き立つのが、トースターで1分半焼いた瞬間。どんなにおいしい商品でも、お客様に価値が伝わらなければ意味がありません。だからこそ、価値をきちんと伝えるために、パッケージで伝えるのが一番わかりやすいと思いました。

ですが、商品の顔であるパッケージを変えることは簡単な判断ではありません。特に、コンビニで販売する商品ですから、「焼いて食べることを推奨すると、かえって手に取られにくくなるのではないか」という反対意見もありました。

ただ、「果香音 -かかお- 」は嗜好品です。焼いたほうが好きな人もいれば、焼かずに食べたい人もいる。万人に受け入れられる商品を目指すより、誰かに強く刺さる商品でいい。

まずは実験。やってみて、そこからまた考えればいい。私は、「売れんかったら、自分たちで食べたらええやん」くらいの気持ちで商売をしています。それくらい腹をくくらないと、本当にいいものは作れないと思っていますね。

結果として、過去の季節限定商品を大きく上回る売上を記録しました。「やっぱり、うまいもんはちゃんと伝えたら売れる」。その確信がもてました。

すばらしいですね。今後はどのような取り組みを考えられていますか。

今考えているのが、47都道府県の特産物を使った地域限定のクロワッサン鯛焼きです。各地の素材を活かしたフィリング(具材)を開発し、その地域でしか買えない商品を作っていきたいと考えています。

どの地域にも自慢の特産物がありますが、販促に課題を抱えているものもあると思うんです。すでに蒜山や淡路島では、特産の牛乳を使った「果香音 -かかお- 」を展開しています。

地域の特色を商品に活かし、地域の力で売っていく。私たちも地域もハッピーになれる、とてもおもしろい取り組みができるのではないでしょうか。

メーカーで100億宣言。商売の舞台を世界へ

「100億宣言」のなかで、海外の販路開拓に言及されていますよね。海外進出を目指される背景には、どのような出来事があったのでしょうか。

「このまま国内だけで商売を続けていては、いずれ立ち行かなくなる」という危機感を抱くようになったことがきっかけです。

商売をはじめた頃の加古川は、まだまだ活気があって、小さな商店もスーパーも元気でした。名物社長といわれるような人たちがいて、人と人とのつながりのなかで商売が成り立っていたように思います。

ですが時代が進むにつれ、少子化による人口減少や大手量販店の進出が重なり、廃業を余儀なくされるお店が増えていきました。その光景を目の当たりにして、国内市場だけを前提にした商売に限界を感じるようになっていったんです。

そんなとき、日本製品の品質の高さが世界で高く評価されていることを知りました。その追い風を感じながら、「クロワッサン鯛焼きを軸に、日本の良さを伝えていきたい」と強く感じるようになっていきましたね。

海外における販路開拓の現在の状況を教えてください。

台湾、ベトナム、インドネシア、シンガポールへは、直接営業に行っています。その他にも、商社を通じて10か国ほどで商品を展開しています。

大きな転機になったのが、2020年12月の台湾での展示会でした。

コロナ禍で当初の開催が延期になり、半年ぶりに再開されたタイミング。台湾へ行くかどうかを迷っていた営業担当に「私だったら行く」と声をかけたところ、彼は覚悟を決めて渡航に踏み切ってくれました。

日本から出展していた企業はわずか2社。現地入りして最初の一週間は隔離でしたが、台湾の関係者の方々が「よく来てくれた」と温かく迎えてくださったそうです。展示会当日には、偶然台湾に滞在していたモスバーガーの社長と出会う機会に恵まれました。そこでの直談判の末、「果香音 -かかお- 」がサイドメニューとして採用されることになったんです。

実はこのときの営業担当は、当社で初めて採用した新卒社員でした。台湾での経験は、彼にとって「商売の感覚」をつかむ大きな転機になったはずです。

その後も、日系の百貨店の催事などで販売を続けており、私も年に一度は現地に足を運んで売り場に立っています。台湾では、少しずつですが確かな手応えを感じていますね。

上場は社員への恩返し。挑戦を文化にして、社員とともに成長する

会社経営の将来像として、新規上場(IPO)についてはどのように考えていますか。

前向きに考えています。理由はシンプルで、社員への恩返しになると思っているからです。

IPOによって経済的なメリットを得る人もいれば、会社としての名誉につながると感じる人もいるでしょう。いずれにしても、社員にとってプラスになる面が大きいと思っています。

会社の未来を広げると同時に、社員の可能性も広げる選択肢の一つとしてIPOがある。そんな位置づけで捉えています。

「上場は社員への恩返し」という言葉には重みを感じます。組織や文化についての考えを教えてください。また、特に力を入れて取り組まれていることを教えてください。

社員が定着しなければ、会社は成長しません。だからこそ、社員一人ひとりが力を発揮できる環境づくりが何よりも大切だと考えています。

アサヒ物産では、「健康経営」に取り組んでいます。世の中にこの言葉が広がりはじめた2018年頃から取り組んでおり、以後7年連続で「健康経営優良法人」に認定をいただいています。

健康経営は、前年と同じことをしているだけでは評価されません。毎年、新しい取り組みが求められるので、自然と「次は何をやろうか」と考える良いプレッシャーにもなっていますね。

これまで、誰が一番歩いたかを競う「ウォーキングキャンペーン」や、社員の家で育てた野菜を持ち寄ってサラダにして食べる「サラダウィーク」などに取り組んできました。

最初は思いつきではじめた取り組みでしたが、今ではすっかり文化として根づき、社員の健康意識の向上や定着率アップにつながっています。会社にとっても大きな価値をもたらしてくれていますね。

健康意識の向上はもちろんですが、「新しいことに挑戦してみよう」という文化の醸成にもつながっているのですね。組織が大きくなるなかで、新卒採用にも注力されています。はじめた背景を教えてください。

ある程度の規模になったとき「この先の会社の成長には、人が絶対に必要だ」と感じるようになり、新卒採用を本格的にはじめることにしたんです。

最初は4名で、2名を営業職、2名を商品開発に配属しました。新卒が入ってくると、教育や研修、評価制度など、それまで当たり前だと思っていた仕組みを見直さざるを得なくなって。これは会社にとって大きな収穫でしたね。

ありがたいことに、毎年多くの応募をいただいています。就職情報サイトの担当者からも驚かれるほどです。

一方で、新卒が増えて課題もみえてきました。会社としての方向性を明確に示し、採用した若い人材をどう引っ張っていくのか。その体制を整えていくことが、これからの組織づくりではより重要になると感じています。

会社としての方向性を、ミッション・ビジョン・バリューで表現されていますよね。どのように策定されたのでしょうか。

社員数が増えてきた頃、ふと「この会社には共通言語がないな」と気づいたことがありました。価値観や判断軸がバラバラのままでは、組織として同じ方向に進むことができません。

会社としての軸をきちんと言語化しようと考え、ミッション・ビジョン・バリューをつくることにしました。ただ、社長である私がトップダウンで決めてしまうと、どうしても、ありきたりになってしまう。

そこであえて、当時の新卒3年目の若手メンバーに主導してもらうことにしました。自分たちで考えた言葉のほうが腹落ちしますし、文化として根づくスピードも速いだろうと考えたんですよね。

「挑戦」や「情熱」といった言葉は少し古臭いかもしれませんが、私は好きです。ただ、会社も次のフェーズに入りつつありますし、そろそろアップデートの時期かもしれません。また社員と一緒に、いまのアサヒ物産にふさわしい言葉をつくっていきたいです。

どれだけ可能性を広げられるのか。創業から変わらぬ思い

これからどのような挑戦をしていきたいと考えていますか。

商売をはじめた当時から、「どれだけ自分がチャレンジできるのか」という思いは変わっていません。時代に合わせて、卸、小売、メーカー、委託製造、自社製造と、商売の土俵は変わってきましたが、根っこにある想いはまったく揺らいでいないですね。

社員に対しても同じです。社員一人ひとりが最大限の力を発揮できる環境をしっかりと整えれば、自然と「自分はどこまでやれるのか」を追求できるようになる。その積み重ねが、結果として地域貢献や社会貢献につながっていくと考えています。

これからも、この加古川の地で、社員の力を最大限に引き出しながら、新たな価値を生みだし続けていきたいです。

北川 共史 TOMOFUMI KITAGAWA

編集後記

今回の取材を通じて、大西代表の「強烈な自立心」と、それとは対極にある「他者への深い謙虚さ」を感じることができました。
中学浪人や起業家としてのご経験から培われた「自分で道を決める」という経営者としての原点。一方で、両親や恩師、先輩経営者、地元の方など、大西社長が語る言葉の端々からは、常に自分を育ててくれた「人」への感謝が溢れていました。一つひとつのご縁を、損得ではなく「粋」や「恩」として大切にされてきた歩みが、現在のアサヒ物産という企業の温かな社風に繋がっているのだと感じます。
「会社は自分のものではない」と言い切り、次世代への継承を淡々と、かつ真摯に見据えるその姿。終わりのない「経営」を楽しみ続ける姿は、まさに生粋の商売人のあり方を体現されていました。