商売は一人ではできへん。
人と地域、ご縁に支えられてきた道のり

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神戸・北野坂の入り口のビルの一角に、大人の隠れ家のようなお店がある。アサヒ物産株式会社の創業者で代表の大西能久さんが、行きつけの店として足を運ぶ割烹料理屋「たけつら」だ。

得意先や取引先ともよく訪れるというこの店で、大将との気さくなやり取りを交わしながら、旬の食材を活かした手の込んだ料理に舌鼓を打つ。大好きだというお酒を酌み交わしながら、大西さんの原点とこれまでの歩み、人とのご縁に支えられてきた商売人人生に迫っていく。

loconomiQ 編集長 ソウルドアウト株式会社
北川 共史 TOMOFUMI KITAGAWA
専務取締役 COO グループ執行役員

1984年北海道札幌市生まれ。2007年に株式会社オプトへ入社し、ソウルドアウト創業に参画。営業領域の責任者として全国の中小・ベンチャー企業支援を拡大し、ソウルドアウトの東証マザーズおよび東証一部上場に貢献。その後、CROやマーケティングカンパニープレジデントを歴任し、2024年より専務取締役COOに就任。
現在は「ローカル×AIファースト」戦略のもと、全国拠点展開とデジタル活用を通じて地域企業の成長を後押しし、日本経済の持続的な活性化に取り組む。

目次

自分の人生を自分で決める。独立心を育んだ、中学浪人の経験

大学生で起業するというのは、当時は珍しい選択だったのではないかと思います。その独立心は、どこで育まれたのでしょうか。

振り返ってみると、私の起業家としての原点は中学浪人の経験にあると思います。

高校受験で第一志望に届かず、「もう一年かけて、自分が納得して進める道を選びたい」と思い、予備校に通うことにしたんです。

中学校の先生のなかには「中学浪人なんて…」という否定的な意見の方もいらっしゃいましたが、予備校の先生には「好きなようにしたらいい」と言ってもらえて。両親も「お金は払うから、好きにしなさい」と背中を押してくれました。

浪人という道を選んだ私の意思を否定せず、信じて支え続けてくれた両親には本当に感謝しています。

そうした経験が起業家精神につながっていったのかもしれませんね。ご両親の影響もあったのでしょうか。

考え方は、父から受けた影響が大きいかもしれません。父は大手企業で定年まで勤め上げた人で、私とはまったく違う生き方ですが、「人に迷惑をかけなければ、それでいい」という考え方は今も自分の根っこにあります。

細かいことにはこだわらず、自分の信じることは曲げない芯がある。「こう生きなさい」と押しつけられたことは一度もなく、本当に私の「やりたい」という気持ちを尊重してくれました。そうした環境があったからこそ、自分で道を選び、起業へとつながった気がします。

では、予備校での一年間は、ご自身にとってどのような時間になりましたか。

単なる受験勉強の場ではなく、社会に出るための「人間修行」の場だったと感じています。

その予備校は少人数制で、とても濃密な空間でした。高い学力を持ちながら不本意な結果に直面した仲間や、不器用ながらも必死に自分を変えようとする仲間など、多様な葛藤を抱えた人々が集まり、彼らと切磋琢磨する日々でした。

そんな仲間たちの姿、そして両親の献身的な支えを通じて、私のなかにあった「自分一人の力で生きている」という慢心が消え、支え合いのなかで生かされているという感謝の念が芽生えましたね。

また、先生方が毎朝の朝礼で語ってくださる人生論からは、「知識よりもまず、人としてのあり方が問われる」ということを学びました。挨拶や礼儀、他者への敬意。当たり前かつ大切な心構えは、その後の人生や経営者としての姿勢を形作る強固な土台になっています。

それが、現在の大西さんの商売人としての立ち振る舞いにつながっているのですね。

そうですね。その予備校の卒業式の日のことです。両親への感謝を綴った私の文章が読み上げられたとき、それを聞いた先生がボロボロと涙を流してくださって。私の想いが、一人の大人、恩師の心にまっすぐに届いた。とても嬉しかったですね。

また、高校時代の物理の先生との出会いにも、今の私は生かされています。その先生は、毎回の講義の冒頭5分ほど「人間は正直であるべき」などといった人としてのあるべき姿を説いてくださいました。その言葉は、今も私の価値観に深く根付いています。

起業して間もない頃、同窓会名簿で先生がご健在だと知り、思い切って手紙を書きました。「私が商売を続けられているのは先生のおかげです」と。

すると、すぐに達筆な文字でお返事をいただきました。数多くの教え子を送り出してきた先生が、私という人間を鮮明に覚えていてくださり、今の歩みを喜んでくださった。そのときようやく、自分なりの「恩返し」ができたという深い充足感に包まれましたね。

ご縁がつながり、今の私がいる。人から学び育てられた感覚

毎朝、その日大事にしたい言葉を書いた紙を社長室の壁に貼りだしている(写真提供:アサヒ物産)

人の言葉や姿勢が支えになってきたのですね。経営者人生のなかで、印象的な出会いがあれば教えてください。

商売の基本姿勢や大人としての振る舞いを教えてくれた方との出会いです。

30代の頃、ある大手飲料メーカーの取扱量が近畿地方で上位に入るようになり、東京での会合に招待されたことがありました。当時は、ある商社を経由して商品を仕入れていて、その関係で会合の前日、その商社の方が食事に誘ってくださったんです。

翌日の会合では、会場は年配の方ばかりで、完全に場違いな空気でした。すると、その方が状況を察して、「大西さんにとって良い人物を紹介しますから、名刺をもってついてきなさい」と声をかけてくださり、次々に人を紹介してくださったんです。

おかげで、少しずつ居場所ができていきました。あのときの気遣いのかっこよさは今でも忘れません。

それ以来、私も同じ言葉を使って若手メンバーに人を紹介するようにしています。

とても素敵なお話ですね。

商売の場にどう立ち、人とどう向き合うか。その方の背中をみて学ぶことができました。

若い頃の私は、今思えばかなり生意気だったと思います。大手飲料メーカーの社長に対しても、納得できなければ率直に意見を言っていました。それでも、「おっしゃる通りです。改善します」と受け止めてくださった。

そうした懐の深い大人たちに囲まれていたことが、若い日の私を育ててくれた気がします。

加古川は「気になる存在」。何もないからこそ、何かを生み出す余白がある

生まれも育ちも加古川で、起業もされています。地元・加古川への思いについて教えてください。

正直に言うと、加古川に対してものすごく強いこだわりがあるわけではないんです。「なんか気になる存在」という感覚が近い。「地域貢献をしよう」と肩ひじを張るより、この地で商売を続けていくことを大切にしたいと今は考えています。

加古川は、神戸や大阪などの都市部からは遠いですし、外から来て商売をはじめる人は多くありません。ですが、もともといる人同士でのつながりは深く、その関係性が自分の力になっていると感じています。

実は、上場企業もいくつかあるんです。海外に数店舗を展開する大手外食チェーンも、本社は東京ですが、創業の地は加古川にあります。創業間もない頃には、社長自ら、一番大きな声で呼び込みをし、通行量の調査をしながら店づくりをしていた姿をよく覚えていますね。学生時代からの知り合いで、とても誠実な商売をしている方です。

地域に根差して働くことの魅力を、どのように捉えていますか。

表面的な数字だけではみえてこない、その土地ならではの文化や課題、事情を深堀りできることだと思います。

どの地域にも、必ず「ええもん」があるはずなんですよ。私たちは加古川でクロワッサン鯛焼きを作っているので、「この町から何かおもしろことができへんかな」と考えています。

加古川には、誰もが知る名産品があるわけではありません。でも、だからこそヒントがたくさん眠っている。何もないようにみえるからこそ、何かを生み出す余白がある。地元で商売をするおもしろさの一つですね。

地域のイベントにスタッフとして参加。参加者にクロワッサン鯛焼きをプレゼントしました(写真提供:アサヒ物産)

地元・加古川で暮らす良さを、どのようなところに感じられていますか。

幼い頃から祖父母と一緒に暮らし、地域の人に囲まれて育ってきました。そういった環境が本当によかったと思っています。

私は、昨年一昨年と両親を続けて亡くしました。実家に戻ったとき、幼い頃からお世話になっている近所の方が「あんた、帰ってきとんけえ!」と声をかけてくれて。何気ない一言でしたが、心がすっと軽くなりましたね。

しんどいとき、何かあったとき、自然と心を保てる場所がある。今も昔も、故郷のにおいや地域コミュニティは、私にとって大きな支えです。

元気でいてくれたらそれでいい。家族との適切な距離感

ご家族について教えてください。

家族は、妻と長男、長女、次男の5人家族です。

妻は福岡の出身で、ご両親の世代には、仕事の関係で九州や沖縄から加古川に移住された方がたくさんいらっしゃるんですよ。妻とは、友人が勤めていた会社を通じて知り合いました。

私は、平日は朝から晩まで仕事をして、金曜日は後輩と飲みに行き、土曜日は会社の若手メンバーと麻雀、日曜日はゴルフの練習。そんな生活がずっと続いています。

それでも妻から嫌な顔をされたことは一度もありません。彼女の家庭では、お父さんはお仕事で忙しく、家を空けることが多かったそうで。そうした背景もあってか、私の働き方を受け止めてくれているのだと思います。

お子さんに対しては、どのようなスタンスで接しておられるのでしょうか。

基本的には放任主義ですね。

私自身、父から「人に迷惑をかけなければ大丈夫」という考え方のもとで育てられました。進路について口出しされることは一切なく、自分で選ぶ自由を尊重してもらっていた。その距離感が、とても心地よかったんです。

だからこそ、子どもたちに対しても同じように接しています。相談されれば向き合いますが、こちらから過度に介入することはしません。

高望みをしてプレッシャーをかけるのではなく、「元気でいてくれたらそれでいい」くらいの距離感のほうが、親子にとっては健全ではないでしょうか。

「経営」はまだまだ。奥深くて、一番おもしろい仕事

今日はゴルフウェアで来ていただきました。ゴルフは長く続けていらっしゃるのでしょうか。

一番古い記憶をたどると、小学生の頃、田んぼで稲刈りをしたあとの切り株の上にボールを置いて打って遊んでいました。

今の飛距離は平均で250から260ヤード。調子がいいと280ヤードほど飛びます。「自分のプレーを極めたい」という気持ちは強いですが、プロを目指したいとまでは思っていません。1か月間試合で時間を拘束される生活は、あまり性に合わないですね。プロは8割の力で300ヤードほどを飛ばしますから、もう別世界です。

驚きました…すごい数字ですね。もし経営者ではなかったら、どのような人生を歩んでいたと思いますか。

そうですね…山にこもって陶芸家になっていたかもしれません。何か一つのことを極めるのが好きなんです。ですが「8割理解できた」という気持ちになると、途端に熱が引いてしまう性分でして。

その点、「経営」はまだまだですね。とても奥が深い。経営は一人で完結するものではなく、関わる人が増えるほど新しい発見や学びがある。仕事としては、やっぱり経営が一番おもしろいと感じています。

会社は自分のものではない。一番良い形での継承とは

では、ご自身の引退や会社の継承については、どのように考えられているのでしょうか。

私は「会社は自分のものではない」と考えています。だからこそ「会社にとって何が一番良いのか」を基準に意思決定をしてきました。継承についても、その考え方は変わりません。

友人に京都の酒蔵で11代当主を務めている方がいて、ふと考えたことがあるのですが、私自身は血縁で会社を継ぐという形には向いていないと感じています。血縁ならではの強さがある一方で、どうしてもしがらみが生まれやすい。立場や関係性に縛られず、自由に判断できる環境のほうが、自分の性には合っていると思うんです。

ただし、それはあくまで関係性次第です。きちんとコミュニケーションが取れていて、それぞれが役割を果たし、個々が成熟している状態であれば、身内で継ぐことが強みになるケースもある。窮地に立ったときの結束力は大きな力になりますから。

大切なのは「誰が継ぐか」ではなく、「会社にとって最善かどうか」。そこを一番に考えたいですね。

引退のタイミングについては考えられているのでしょうか。

ここ数年のうちに、どこかで一区切りをつけようと考えています。若手を育てる仕組みをきちんと整え、十分に準備できたときがタイミングですね。

引退したあとも、会長として残るつもりはありません。中途半端に関わり続けるより、完全に任せたほうが組織としては健全だと考えているからです。

かつては「経営者は才覚だ」と言われた時代もありましたが、今は仕組みで補える部分も大きい。大切なのは、経営に向き合い続ける姿勢です。地道に学び、考え続け、その場に居続ける人が結果的に一番強い。

そんな人が現れたときに、気持ちよくバトンを渡したいと思います。