「社員にはあまり教えていなくて、私一人の秘密基地のような存在でもあります。」
紹介いただいた喫茶店「GEN」とは、鎌倉投信株式会社の代表 鎌田恭幸さんが家族と通い続けて25年以上の付き合いになるという。
金融業界という激流の中でキャリアを築きながらも、その温和な人柄の根底にあるのは、幼少期に故郷で育まれた「信用」と「地域資本」だ。全国の「いい会社」を厳選し、ファンドを通じて長期的に支える「応援団」である鎌田さん。その流儀はいかにして形成されたのか、公私にわたる信念に迫った。
1984年北海道札幌市生まれ。2007年に株式会社オプトへ入社し、ソウルドアウト創業に参画。営業領域の責任者として全国の中小・ベンチャー企業支援を拡大し、ソウルドアウトの東証マザーズおよび東証一部上場に貢献。その後、CROやマーケティングカンパニープレジデントを歴任し、2024年より専務取締役COOに就任。
現在は「ローカル×AIファースト」戦略のもと、全国拠点展開とデジタル活用を通じて地域企業の成長を後押しし、日本経済の持続的な活性化に取り組む。
目次
家族と時を重ねた秘密基地のようなサードプレイス「GEN」
鎌田さんらしさについてお話する場としてご紹介いただいた喫茶店「GEN」さんには、25年以上通われているとのことですが、普段どのように過ごされている場所なのか改めて教えてください。
GENさんには、鎌倉に越してきてからもう25年以上お世話になっています。
鎌倉に来た当初はまだ東京に勤めていましたので、週末だけ家族と来ていました。特に、子供の少年野球の帰りには、家族皆で立ち寄る定番スポットになっていましたね。
その後、鎌倉投信を立ち上げ、近所に事務所を構えてからは、1人で訪れる機会が増えました。週末のセミナーが終わった後に寄って、ゆっくりと過ごすこともありました。社員にはあまり教えていないので、私だけの「秘密基地」のような存在でもあります。
すぐ近くに住んでいる次男も、たまに家族でお邪魔しているようです。本当に長い時間、家族と共にある大切なサードプレイスになっていると感じています。
季節ごとに自然豊かな鎌倉で過ごすリフレッシュ時間
社会のためになる金融を追求されている鎌田さんですが、仕事から離れてご自身の気持ちをリセットできる時間はありますか?
切り替えが上手な経営者の方々を見ると、「私もそうなりたいな」と思います。ただ、性分なのか、やはり仕事のことをずっと考えてしまっていますね。
唯一、スッと気持ちが切り替わる瞬間は、身体を動かしているとき。それから今回のように落ち着いたカフェで過ごすときです。あとは、山の上や海などの自然の中でぼーっとする時間。そういう意味で、季節によってさまざまな表情を見せる鎌倉は、リフレッシュできるスポットが多くて本当に恵まれています。
鎌倉には、意外と金融業界出身の方々も住んでいて、当社の取り組みを応援してくれたり、共感してくれたりしている人が多いのも心強いですね。
経営者であると同時に父でもある鎌田さんが「父親として大切にしていること」や、ご自身なりの教育論について教えていただけますか。
教育論というと大袈裟ですが、基本的には「子どもは自由にさせる」ということです。
実は、長男の時には勉強を促したり、しつけをしたりしましたが、全然言うことを聞いてくれなくて、全く効果がありませんでした。それで「子どもは親が思うようには育たない」ということを痛感したのです。
それから、あれこれ指示することはやめました。「塾に行け」「習い事をしろ」などは基本的に何も言いません。ただ、親が一生懸命生きている姿勢を見せることは大事にしています。
子どもが「これをやりたい」と言ってきたら応援しますし、最近は色々と相談を受ける機会も増えました。個性を尊重し、やりたいことをサポートする。これが私なりのスタンスなのかもしれません。
投資哲学の原点は地域社会の「信用」と「豊かさ」
穏やかで親しみやすい鎌田さんの人となりは、どのように培われてきたのでしょうか。幼少期からの原体験について教えてください。
私の仕事の原点は、小さい頃に育った島根県大田市の自然豊かな環境にあると感じています。実家は食料品などを扱う小さなお店と、田んぼをやっていました。所得は低く、奨学金を借りて大学を出ましたが、貧しさみたいなものは一切感じませんでした。
それは、お金がなくても家庭環境が円満で、地域の人との関係性が豊かだったからです。近隣と支え合う伝統的なコミュニティを体験し、お金がなくても社会的に豊かな暮らしが原体験としてあるのです。この「お金がなくても幸福感が満たされる世界」で生きてきた体験は、現在のビジネスや投資哲学の原点になっています。
当時はクレジットカードもなく、実家の店では月締めの「通い帳(ツケ取引)」が一般で、いわゆる「信用」がベースの小さな経済圏に触れていた体験も大きいです。
両親は、車社会が広がって店のお客様が減っても「近所の子どもがアイスクリームを買いに来て、お店が開いてなかったらかわいそうだ」と、元日以外はずっと店を開けていましたし、顧客一人ひとりの嗜好や家庭状況を把握し、細やかな配慮もしていました。
お酒を届けに行く際、子供がいる家庭には無料でチョコを配ったり、老夫婦の家には魚のアラを味噌汁用に提供したりと、「何をすれば喜ぶか」という視点で非売上活動を重視していました。商売下手ではありますが、「目の前のお客様にいかに喜んでもらうか」という姿勢は、商いの原点だと教わった気がします。
今振り返ると、信用と信頼こそが商いの原点であり、お金の裏にも信用と信頼があるということは、親から学んだ大きな教えだと思っています。
20年かけて磨いた専門性を武器に仲間と築いた独立の基盤
幼少期の原体験とは対照的に、金融業界に進まれたのですね。どのように資産運用の専門性を高めていかれたのでしょうか。
大学時代の先輩に紹介を受け、信託銀行に就職したのですが、当時は幼少期の環境が原体験になるという実感は全くありませんでした。当時、高い志があったわけではありませんが、「世の中の役に立ちたい」という気持ちは心のどこかにありましたので、金融業界の浮かれた状況は、ギャップを感じる世界でした。
当時は今ほど転職が一般的ではなく、定年まで勤め上げる姿勢で一生懸命働きました。幸運なことに、まだ資産運用ビジネスが広がっていない頃に年金の運用部門に配属され、当時かなり進んでいた海外の運用技術を学ぶ機会にも恵まれたのです。
そのまま11年お世話になり、その後、資産運用の専門性を磨きたいという思いから、外資系の運用会社へ転じました。そこで9年間学び、合わせて20年間の運用専門知識を深めて、独立への基盤を築きました。結果として、外資系に移ってグローバルの運用レベルを学べたことは、大変勉強になったと感じています。
外資系への転職という大きな決断をされる際、ご家族や周囲の反対はなかったのでしょうか。
一度目の転職の際、義理の父から「なんでやめるの?」「何のための転職?」など聞かれました。その答えが自分の中で曖昧な状態で、上手く答えられなかったことを覚えています。
鎌倉投信を立ち上げるときもそうでしたが、人生が変わるタイミングというのは、一切の制約条件がなくなるときだと考えています。自分の気持ちが整理され迷いがなくなれば、周囲の人の納得感も得られ、スッと決まります。自分の中で揺らいでいるときは周囲の人から色々と聞かれると曖昧な答えしか見つからなかったり、自分でも自信を持てずに違うのかなと思ったりしますが、本当に転職するときは、周りからは何も言われませんでしたね。
鎌倉投信は元同僚の方々と立ち上げられたと伺いましたが、創業メンバーとの目線合わせにおいて、特に重視されたのはどのような点ですか?
鎌倉投信は、前の職場の同僚と立ち上げました。ある程度考え方を理解し合い、共感できるメンバーであったことは間違いありませんが、全員が同じ考えだったわけではありません。目指す方向が必ずしも一致しているわけではなかったので、目線合わせのために半年かけて議論をしたのです。
その結果、経営理念、事業モデル、運用哲学が全て合致したところからスタートできたため、リーマンショックなどの危機があってもブレませんでした。立ち上げメンバーは、みんな金融工学専門の会社で数字ばかり見てきた人たちで、私たちはその真逆のことをやろうとしていたのです。リスク・コンプライアンスやオペレーション、運用ができる人など、さまざまな事情で協力してもらえそうな人をピンポイントで誘っていきました。
能力の高い創業メンバーが集まってくれたことは本当にありがたいことでした。私自身は長く年金基金などのプロのお客さんと対峙してきましたので、そこで鍛えられたお客様に向き合う誠実さや真面目さ、そこから得られた一定の信頼感は、他のメンバーも感じてくれていたのかもしれませんね。
もっと関係人口を広げて浸透させたい新しいお金の循環
鎌田さんにとって応援したくなるような「いい会社」のあり方と、ご自身の「いい人生」の理想像に重なる部分はありますか?
いろいろな経緯があって鎌倉で資産運用・投資事業を行う会社の経営をしていますが、「この会社と出会えてよかった」と、ある会社のことを多くの人が知って喜んでいる姿が見られるような金融のあり方を目指したいと思っていますので、そこに一歩でも二歩でも近づきたいという思いはあります。
もし自分の中で「ここまで来られた」という実感が生まれれば、それが自分にとっての達成感にもつながると思うし、ゴールだとも思うのですが、今は道半ばで苦しい状況が続いていると感じています。起業して17年経ちますが、「鎌倉投信が今の程度で落ち着くなら何も変わらないよな」と感じる部分もあります。
当時、強い想いをもって立ち上げた世界観に対して、今はまだまだ道半ばだと感じておられるんですね。
そうですね。将来の指針としては、金額ではなく関係人口の数で考えたほうが良いと思っています。
例えば、現在約2万人のお客様がいますが、これが10万人に増えたら、関係人口はその5倍、10倍いると考えると、100万人くらいで日本全国民の1%に影響を与えられる存在になりますよね。これがさらに2倍、3倍あるとなんとなく動きが出てくるように感じているので、そのくらいの規模を目指したいです。
人それぞれ意識は違いますが、なにか前向きに一歩踏み出す機会がこのファンドを通じて生み出せるのであれば、全体の1%でもパワーとしてはすごいものになるはずです。単純にお金を増やすだけとは違うお金の循環を、もう少し浸透させていきたいと考えています。
将来は社会を豊かにする次世代の起業家を100人輩出したい
今後の人生について、まず父として息子さんや娘さんに託したい「こういう人生を歩んでほしい」といったメッセージはありますか?
上の二人は、今、小さいながら自分で会社を作って動き始めています。きっと私が会社をつくったことも影響しているのでしょう。小さい頃からお年玉やアルバイトで貯めたお金を鎌倉投信の「結い 2101」に入れていて、それが10年、15年経った今それなりに増えたため、事業の立ち上げに使えたようです。
そういった成功体験や、私や母親の働き方を見ていて、自分らしさを見つけようとしているのだと思います。当然、自分で会社を経営するリスクはつきものですが、自分のやりたいことに挑戦し続けて欲しいですね。
長女はワーホリから帰ってきて、自分なりにやりたいことを考えているようですが、生き方はいくらでもあると思うので、これというものを見つけて進んでくれたらいいなと願っています。私自身は60歳にもなるので、まずは元気に歳を重ねていきたいと思っています。
鎌倉投信の枠を超え、鎌田社長ご自身が人生をかけて実現したい目標はありますか?これから先の人生で挑戦したいこと、または大切にしていきたいことを教えてください。
鎌倉投信の事業は私の人生そのものです。ですので、自分がいなくなっても世代を超えて受け継がれる会社、社会に必要とされる会社にすることが自分の人生をかけた挑戦です。
10年、20年後、鎌倉投信で育まれた多くの投資家や投資する「いい会社」の「わ(和・話・輪)」が広がり、鎌倉投信の取り組みを通じて信頼に根差したお金の循環が広がり、心豊かに成長できる社会づくりのために真に必要とされる運用会社に育てたいと思っています。
鎌田さんの経営哲学が培われたネットワークを、鎌田さんを慕う若手経営者にインストールしていくような機会が実現できると良いですよね。
いろいろな経営者の方を見ていて、自分も一歩でも近づけるように、これからも成長していけたらいいなと思っています。
本日は素敵な時間をありがとうございました。