活躍しているからこそ、地方へ。新卒3年目が1人で新潟営業所を作りました

仲間・文化
2017.12.07
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【社長と対談シリーズ】第6回は、社会人3年目で、新潟営業所の立ち上げを任された葛谷篤志。出身地でもなく、縁もゆかりもない新潟でどうやって成功していったのか?そして、ソウルドアウトが「優秀な若者ほど地方に送り出す」理由とは?

 

荻原 猛(おぎわら たけし)
代表取締役社長
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荻原 猛(おぎわら たけし)
1973年生まれ。中央大学大学院戦略経営研究科修了。経営修士(マーケティング専攻)大学卒業後、起業。2000年6月に株式会社オプトに入社。2006年4月に広告部門の執行役員に就任。2009年に当社を設立し、代表取締役社長に就任。著書に『ネットビジネス・ケースブック』(2017年 同文舘出版 田中洋共著)がある。
葛谷 篤志(くずや あつし)
第三営業本部 本部長
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葛谷 篤志(くずや あつし)
1987年生まれ。2009年に株式会社オプトに入社。2010年に創業メンバーとして当社に参画。2011年地方拠点第一弾の一つである新潟営業所を立ち上げ県内のWeb広告シェアNO.1へ成長させる。2017年よりSMB推進本部本部長に就任後、2018年よりテクノロジーを活用した広告代理業支援を目的とし株式会社テクロコの取締役を兼務。

最初に会社を選んだ基準は、土臭さ

――本日は、新潟営業所の立ち上げのお話を中心に、お2人に対談形式でお話をしていただければと思います。まずは葛谷さんがソウルドアウトに入ったきっかけなどをお伺いできればと思うのですが。

荻原:葛谷はオプトの2009年新卒だよね。最初に聞きたいのは、そもそもなんでオプトに入ろうと思ったの?

葛谷:大学の先輩でネット広告会社に行った人が多くて。話を聞いて、面白そうだなと思ったんです。3つくらいあった大きな広告会社の中で、オプトが一番土臭くて硬派っぽいって感じで。

荻原:土臭い・・・なるほどね(笑)

葛谷:そうです。当時オフィスも大手町だったので。硬派っぽいイメージじゃないですか。

――オプトでは何を?

葛谷:最初の1か月はリスティング広告の運用部署に配属で、その後は営業部に行きました。最初の1か月は何をやっているのか、全然わからなくて。

荻原:1ヶ月間も(笑)まーそういうものなのかもね。

葛谷:「1ヶ月、リスティングの運用を学んだのですが、何が起こってるのかわからないので、まずお客さんと会話したいです」っていうのを、人事にプレゼンして。そして、営業部に配属されました。

荻原:そうなのね。

葛谷: 配属されたのは、当時は社内で“多業種担当“って呼ばれるほど、幅広い業種を担当する部署でした。部長は細井さん(現株式会社グロウスギア代表取締役社長)です。

荻原:そう。その部署が、ソウルドアウトの前身になった部署だからね。「ソウルドアウトをやる」っていったら、メンバーは大体きてくれたね。

葛谷:そのころは新卒一年目だったので配属の選択肢はなかったですが、新会社を設立するというメッセージに心を躍らせたのをいまでも覚えてます。新しいことにチャレンジするっていうワクワク感には、やっぱり引っ張られました。オフィスも別のところになって、全く新しい環境になりましたね。

――ソウルドアウトでも営業ですか?

葛谷:そうです。取締役の山家さんと一緒にテレアポで新規の取引先の開拓を率先してやってました。みなさん、オプトや、前の担当部署から引き継いだ案件で必死だったので、新しいことができるのが山家さんか僕くらいしかおらず。その際に、お客様に提案する際に必要なマーケティング、LTVとかターゲティングというものを勉強させてもらいました。この期間に学ばせて頂いたことが今でも相当役に立ってます。

――確かに、取締役とガッツリ仕事できるタイミングってあまりないですからね

葛谷:その頃に取引きが生まれたお客様は上場したり、すごく大きくなったり。とても貴重な体験ができたかな、と。ちなみにその上場した会社は最初の広告予算は5万でしたね…。

荻原:そうだよね、5万円から始まるってことも多いよね。

葛谷:でも広告費用がWebにシフトしていないだけで、Webをやらなければならないという本気度が伝わったので、みるみるうちに取引先の売上も上がりました。ピークで、年間の広告予算は5,000万くらいまで成長しました。

荻原:素晴らしい。そういう伸びる会社でも、予算5万円の時に支援できる広告会社って、なかなかないと思うんだ。

もっとも優秀な営業マンだからこそ、地方へ

――新潟営業所の立ち上げを、葛谷さんが担当することになった理由は?

葛谷:ソウルドアウトが会社の方針として、地方企業を支援するというメッセージを出したのが2011年でした。地方戦略の元年ですね。その際に細井さんから「新潟いく?」って聞かれて。即答で「行きます」って。

荻原:それはいつ頃?

葛谷:2010年の11月くらいですかね。まだ、社会人になって1年半のぺーぺーでした。「新潟に行く」っていうのは、僕にとって社会人として一番はじめの意思決定なんですよ。自分で判断をするっていうことを、そこで初めて迫られたというか。でも当時の上司(北川さん)に止められたんですよ。「行くなよ、俺が育てたいから」って。

――なるほど(笑)でも、なぜそれを振り切ってまで「新潟に行きたい」って思ったんですか?

葛谷:単純に親が転勤族だったので異動とかに対してのアレルギーが全くなかったのと、新しいことをやるっていうのは基本的にチャンスだと思って。ソウルドアウトに来たことも全く後悔はなかったし、いい経験している実感があって。あと新潟は全く行ったことがなくて興味深かったですし、そんなことをしてるネット広告会社はあんまりないので、面白いと思ったんです。

荻原:確かに。

葛谷:北川さんに頭を下げて「やっぱり僕行きます」と年末に言って。そこから、その年の正月休みに、新潟県のサッカーチームや野球チームのスポンサー企業をリストアップしました。もう「ここに行くぞ!」ってみたいな、すごいワクワクしてた感覚を覚えてます。

――へえ。

葛谷:その時に初めて、僕は「こういう風にアプローチします」っていう営業方針を作ったんですよ。まあ、拙い感じでしたけど。それでまずは2泊3日の出張で8社に事前に電話でお伺いする予定を取りました。

出張初日、手書きの申込書で即受注。

――新潟での仕事はどんな風に始まったんですか?

葛谷:最初の1社目は、出張初日にある会社から発注をもらったので…

荻原:出張している間に、っていうのがいいね。

葛谷:当時のソウルドアウトは発注関係のシステムも整っていなかったので、ホテルで手書きの申込書作って。そしてまた、急いでクライアントさんの会社に行って、サインしてくださいって再訪問をしました。すぐに我々がWebで売上向上の支援をさせていただきますと。

荻原:それでクライアントさんもサインしてくれたのね、素晴らしい。

――幸先の良いスタートの切り方だったんですね。荻原さんとしてはそんなにすぐ結果が出るとは思ってたんですか?

荻原:いや、出張の段階で初受注するとは思ってない(笑)

葛谷:やっぱり当時は立ち上げ1年目だったので、ソウルドアウトの社員としてコストの意識が高かったので、2日間出張するということもあって、この8アポをどう有意義にするのか?をすごく考えましたね。

――では、そこから順調に営業所も立ち上がって。

葛谷:いえ、そんなことはありません。新潟営業所を立ち上げたのは、2011年3月1日でした。10日後に東日本大震災がきて。机の下で「揺れてるな」と思いながらテレアポしてました。

――地震の中でも、テレアポしてたんですか?

葛谷:当時は情報が遮断されていましたので、地震の規模もわからなかったし、業務時間だったので業務に取り組んでいました。荻原さんもTwitterとかで心配してくれて、そこで容易なことではないと実感しました。すぐに出張の際に取引が生まれたクライアントのもとへ出向いて「広告止めますか」と言いに行きましたが、通常通り営業していたんです。そこからしばらくは、クライアントのオフィスにお邪魔し、仕事をしていました。

荻原:そうだったね。

葛谷:「ちょっとこんな状態なので、僕一人しかいないので、御社で仕事させていただいていいですか?」みたいな感じで。

荻原:震災の中、一人では不安だったよね。

葛谷:そうです、そうです。1人でオフィスにいる時よりも会話があるので…。ニュースも時事の話も、もちろんお客さんの話も。

――では、そこから絆が深くなって。

葛谷:でもその後、広告の運用の細かいところで、社長にゲンコツくらってるんで。「こんなんじゃダメだ、お前きるよ」っていうのが1発ありました。取引が生まれて3ヶ月くらいですかね。

荻原:あらら。それで、どうしたの?

葛谷:YouTubeを使ったプロモーション提案し、もう一度だけチャンスを頂きました。それが爆発的にヒットして、1日の売り上げが2倍になったんです。それで信頼を獲得し、今でも当社の重要な取引先になってます。

荻原:素晴らしい。

葛谷:想定以上にうまくいって、びっくりしました。同じころ、逆に競合代理店が震災の影響で新潟に来られなくなっちゃったんで、この頃はさまざまな新潟県内の企業とコミュニケーションを取っていました。

収穫祭で、お客様側から直接相談が来るように

――他にも新潟に馴染むために、何をしてたんですか?

葛谷:テレアポしてると、まだネット広告は早いっていうお客さんとも出会うんです。でも話を聞いていると、ネットでできること、やっておくべきことはかなりあって。なので勝手にGoogle Mapに電話番号を登録してくださいとか、Twitterのアカウント作りましょうとか、そんな提案をしていましたね。

――ネット広告を始めるよりも前のことを。

葛谷:そうです。ただ僕が全部を引き受けるというよりは「こういうことをやって見てくださいね」とか、お客さんにやってもらいます。そうすると「ああ、こんなことができるんですね」とわかってもらえて。

荻原:大事だね。

葛谷:そんな体験をして貰えると、お客さんがWeb自体を楽しめて、ドンドンWebに興味が湧いてきます。そうすると「こんなことできないの?」って返ってくるんですよ。例えば不動産会社からは、乗換案内のページに広告出せないの?と、逆に提案をもらったり。

荻原:お客さん自身がどんどんネットの可能性に気づいていくんだよね。

葛谷:そうです。そんなことをずっとやっていると、いろんなところから可愛がってもらえて。一番初めは「お米の収穫祭やるんで、葛谷さん来ませんか?」って呼ばれました。

――収穫祭

葛谷:そうです。お客さんと一緒に畑行って、お風呂入って泊まって…みたいな。白菜とったり、収穫祭という催事を見て、「今年もたくさん実ってくれてありがとう」みたいなことに参加する・・・。こんな経験、ネット広告代理店の一社員ではなかなかできないと思って、楽しんで参加していました。

荻原:田植えとかもしたんだよね。

葛谷:しました!あと、みなさんお酒はお強くて。それぞれご贔屓の日本酒があるんですよ。その酒蔵にも連れて行ってもらったりもしました。僕、酒がそもそも飲めないんですけど、取り繕わないので接待とかでも普通に寝ちゃったりして。それも結構可愛がってくださってる理由かな…。よく寝てましたよね…。

荻原:僕も新潟で葛谷と一緒にお客さんと会食しているとき、横見たら葛谷ががっつり寝てる(笑)僕はびっくりするわけですよ、「おいおい」って。でもお客さんから、「葛谷くん、疲れてるのかな?」なんて許されちゃって(笑)

葛谷:荻原さんとかも「葛谷ってやつは、そういうやつなんですよ、感情に素直なんですよ」ってみたいな感じでいじってくれるので。そこに甘えてた2年間ですよね(笑)

――かわいがられてますね(笑)

 

ネットの力で、地方に雇用が生まれたという原体験

葛谷:そうやって1年間過ごして、テレアポして、ランディングページも自分で作ったり、散々いろんなところに顔出してるうちに、「ネット広告だったら、葛谷さん」みたいになってきたんですよね、ありがたいことに。新潟は「内向的」と言われるのですが、そういうところで知り合った方から紹介の紹介で、お客様と出会うことも多くて、営業しなくても取引ができるという構図になりました。

荻原:そうだね、県内の皆さんの中に溶け込んでたよね。靴底減らして出向いていたし、可愛がってもらってた。そうだよね、葛谷のお客さんと飲みに行ったら「新潟に転勤来る人は2度泣く」っていうの、何回も聞いた。

葛谷:そうですね。「新潟に転勤って左遷かよ」って言って、悲しくて泣いて入るんだけど…、結局馴染んだらここの愛を受けて離れたくなくなるっていう話ですよね。

 ――その新潟時代の中でも一番印象に残ってるお客さまのエピソードが聞きたいです。

葛谷:そうですね。あるクライアントで、社長と仲良くなっていたので、社内会議を仕切らせてもらったり、今のWeb担当者の方々の面接とかも一緒にしたことですかね。

――人材採用の面接ですか?

葛谷:そうです。今後、Webを回していくとなれば、担当者は重要。なので、かなり真剣に面接しました。

荻原:そして採用が決まって、数か月後に僕が訪問した際、その社長さんが、「ネット担当増えたわ」って、めちゃくちゃ感動した声で言ってて。「雇用が生まれるっていうのは、俺たちのやってたことはそういうことか」と思った瞬間。ソウルドアウトが地方を支援するっていうのがどういうことなのか?を感じた原体験ですね。

葛谷:当時5人だったのが、今は30人弱なので…。売り上げも4倍くらいにはなったと思います。

荻原:すばらしいね。テーブル越しの提案だけじゃなくて、事業の現場に出向くところは葛谷の良さだよな。

地方に行くことは、支社長になること。「こいつは、役に立つ」と思ってもらえるか?

荻原:葛谷の一番の学びは、1人で全部やらないといけなかったことでしょ。意思決定から発注書作成まで、全部自分でやらなきゃいけなくて。やる、やらない、言う、言わない。そういう小さな意思決定を1人営業所だといっぱいできる。

葛谷:それはありますよね。

荻原:東京だったら相談したりとか、地方とは状況はだいぶ違うよね。全部一人でできるのは、小さい会社の社長を経験しているみたいなもんだよね。

――「新潟支社社長」みたいな。

荻原:そうですね。目標を達成していれば、怒られることもない。だから自分を律しないといけないってことが発生する。

葛谷:何もしないと、わかりやすく仕事が暇になりますからね(笑)

――自分のところにすぐ跳ね返ってくる、と。

荻原:そういう経験を積んだから、葛谷は東京に帰ってきて、男っぷりも上がった。リーダーシップも身に付いたよね。やっぱり、たくさんの方々と触れ合って学べたこと大きかったろうしね。それに自分を律して仕事に向き合って、自分一人でたくさんの意思決定を積み重ねていった。やっぱり地方に赴任するって成長する環境なんじゃないかと思って。

葛谷:ありがとうございます。

荻原:それと、やっぱり葛谷を見て思うのは、まずはクライアントを徹底的に儲けさせるってことをど真ん中に置いてるよね。それって僕らの提供価値として当然なんだけど、提案から伝わってくる。そして「こいつは俺の役に立つ」って社長さんたちに思ってもらえていたよね。

葛谷:そうですね…

荻原:そこに対して、葛谷は本当に全力で向き合ってたなー。個性があって可愛いねとか、なんかいろんな人連れてくるねとか、お酒弱いねとか、いろいろ顔出すね、とかティップスはあるんだけど、やっぱり社長さんとしては「こいつは儲けさせてくれるやつだ」っていう認識がないと始まらない。

葛谷:そうじゃないと、役に立たないと思われちゃうので。大それたことじゃなくていいんですよね、儲けるって。

荻原:そう、もっと泥臭くてもいいから、とにかく売り上げをあげるっていう活動量を増やす。それが姿勢に出てないとだめだし、打ち手をどんどん持ってこないとだめ。いきなり広告予算を取りにいくってことではなくって、一緒に売り上げをあげるっていう感覚が大切だよね。とにかく、それをずっと真剣にやれば伝わるし、実際結果に繋がる。根底に「いかに、儲けさせてあげるか」っていう想いがあったっていうのが、葛谷の営業スタイルを見ててよくわかる。だから、信頼される。

新潟の経験を活かして、全国の中小企業を東京から支援

――葛谷さんは、今は東京ですよね。

葛谷:そうです。中小企業専門の部署で、東京からご支援をしております。

荻原:すっげー覚えてるんだけど、新潟にいた時さ、車の中で突然、「東京に戻ったら、全国の新規顧客開拓をやりたい」って俺に言ったんだよな。

葛谷:そうですね。僕は新潟で取引社数も上げてるし、顧客成果を上げて、業績を伸ばしてるって想いが自分にあったのと、僕は福井営業所を立ち上げた高村さんと週にほんと3,4回くらい電話してたんですよ。

――北陸の営業所同士で。

葛谷:そうです。「全然環境違うよね」とか「東京にいる人は状況をわかってくれないよね」とか。その時に、高村さんと「新規顧客開拓するには」みたいなものを、ずっと話してたので、自分の中でメソッドが固まってきていて。

荻原:そうだね。葛谷は「全国にこれから営業所を出していくんだったら、地域営業所に行った僕が一番わかってるはずだ」って。「そこを伸ばしていくんだったら、その新規開拓が肝になるから、それを僕が司りたい」って言ってた。

葛谷:そうですね。せっかく東京行くんだったら、「自分がやりたいです」っていうのは言ってました。新潟をでるまでの4年間は新規の営業ばっかりしてたので、客の顔がイメージできるんですよね。

荻原:それは、地方を経験した葛谷の強みだよね。

葛谷:はい、それは今も生きていると思います。

荻原:たしかに、東京との違いや地方の独特の感覚を知るメンバーが、東京の最新技術で地方中小企業を支援するって、まさにソウルドアウトがやりたいことの1つ。それを葛谷は体現してくれていると思う。

葛谷:いえいえ、ありがとうございます。

荻原:その力をこれからも活かして、ミッションに邁進していこう!今日は、ありがとうございました。

葛谷:頑張ります。今日は、ありがとうございました。

パンくず