家族と仲間、そして高知の未来へ
“しあわせをつなぐ”経営者の原点

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取材の舞台は、株式会社あさの 代表取締役社長・浅野平二郎さんの行きつけの日本料理店。仕事終わりにふらりと立ち寄り、店主との何気ない会話と地元の酒を楽しむ。そんな日常のひとコマに、浅野さんの素顔がにじむ──。

「高知の食文化には、他にはない魅力が詰まっているんです」と地元の魚介をつまみながら語る浅野さん。高知県香美市にある名店「日本料理 いのなかのかわず」で、浅野さんの高知県への熱い思いと人生観、未来像について話を伺った。

loconomiQ 編集長 ソウルドアウト株式会社
北川 共史 TOMOFUMI KITAGAWA
専務取締役 COO グループ執行役員

1984年北海道札幌市生まれ。2007年に株式会社オプトへ入社し、ソウルドアウト創業に参画。営業領域の責任者として全国の中小・ベンチャー企業支援を拡大し、ソウルドアウトの東証マザーズおよび東証一部上場に貢献。その後、CROやマーケティングカンパニープレジデントを歴任し、2024年より専務取締役COOに就任。
現在は「ローカル×AIファースト」戦略のもと、全国拠点展開とデジタル活用を通じて地域企業の成長を後押しし、日本経済の持続的な活性化に取り組む。

目次

高知県のおもてなし文化のなかで親交を深める歓び

今回は、浅野さんのいきつけの日本料理店でお話を伺います。このお店を選ばれた理由を教えてください。

高知県には、「土佐流のおもてなし」として親しまれる独特の宴会文化「おきゃく」があります。古くから、お客さんを心からもてなす酒宴のことを「おきゃく」と呼んできました。

また、「献杯・返杯」といった独自の酒の作法もあり、高知県ではお酒の文化が人付き合いや地域のつながりと深く結びついています。お酒を通じて人と人がつながる、土佐ならではの文化が自分自身のルーツにもなっているのです。

今回は、そうした文化の中で育った自分の姿も知っていただきたいと思い、このお店を選びました。

このお店には、2019年の開店当初から通っています。地元の旬の魚をつまみに、丁寧に選ばれた地酒を味わえる、本当に居心地の良いお店です。料理もお酒も格別で、ついお酒が進んでしまいますね。

高知の魚を肴に、地酒をちびちび飲みながら、店長ととりとめのない話をして過ごす。そんな時間が、自分にとって最高に楽しく、心が緩むひと時です。

“本当に大切なもの”を見つめなおして、決断した高知への帰郷

東京の大学を卒業し、そのまま就職する未来を思い描いていた中で、「高知に戻ってきて」と言われた時、どのように感じましたか? 後ろ髪を引かれる思いはありませんでしたか?

実は当時、東京でお付き合いしていた方がいて、高知に戻ると決めたことでお別れすることになりました。つらい選択でしたし、正直、迷いもありました。

それでも心を動かされたのは、母の言葉でした。何の不自由もなく育ててもらい、大学まで通わせてもらった私に、母が涙ながらに「戻ってきてほしい」と電話をくれたのです。その声を聞いた瞬間、「この思いに応えたい」「今は自分のことより家のことを優先すべきだ」と強く感じました。

当時、家業はまさに存続の危機にありました。そんな中で、まだ学生だった自分に声をかけてくれたことが、うれしくもあり、覚悟を決めるきっかけにもなりました。

あの頃、自分に問い続けていたのは、「本当に自分が大切にしたいものは何だろうか?」ということ。そこで出てきた率直な答えが、「高知に帰って家業を支えること」でした。東京での暮らしを諦めるのは簡単ではありませんでしたが、母の涙が、迷いを振り切る背中を押してくれました。

お話を伺っていると、当時の決断には深い覚悟があったことが伝わってきます。もし、東京でそのまま就職していたら、どんな人生を歩んでいたと思いますか?

「あの時、別の決断をしていたら今頃どうなっていただろう?」と考えることは、正直たまにあります。

大学時代は雑誌制作のサークルに所属していて、編集長も務めていました。編集系の会社から内定もいただいていたので、もしあのまま東京に残っていたら、雑誌の企画や記事づくりに携わっていたかもしれません。

ただ、どんな道を選んでいたとしても、その時その場所で「自分が大切にしたいと思うもの」を軸に生きていたと思います。そういう意味では、今の仕事も、その延長線上にあるのかもしれませんね。

支える側から経営者へ。“共に創ること”を選んだ理由

浅野さんの少年時代は、どんなお子さんでしたか? みんなを引っ張るようなタイプだったのでしょうか?

いえ、どちらかというとリーダーを支える「副キャプテン」タイプでしたね。部活でも前に立って引っ張るより、裏方として周りを支えたり、チームがうまく回るように動いたりするほうが性に合っていました。

だから今、社長として前に立っている姿を見たら、昔の自分を知っている人は少し驚くかもしれません。でも、根っこの部分では変わっていない気がします。誰かを支えることで力を発揮できるタイプなのです。

貴社は、高知県の生姜の加工業においてトップシェアを維持されていますが、競合他社から生姜の端材を買い付けるという発想はどのように生まれたのでしょうか?

当時は、生姜の仕入れ先をめぐって業者同士の関係が少しピリピリしていた時代でした。私はまだ20代で、伯父も現役だったので、業界のしがらみや常識をそこまで深く理解していなかったのです。そのため、変な固定観念もなく、「これ、一緒にやれたらお互いにとってプラスになるのでは?」と、ある意味無邪気な発想で提案できたのだと思います。

業務部長と一緒に、他社の工場へ飛び込みで交渉に行ったのですが、意外にも歓迎してもらえました。先方にとっても、これまで捨てるしかなかった端材が収益につながる話だったので、真剣に耳を傾けてくださったのです。その時に生まれた協力関係が、20年経った今も続いています。それは本当にありがたいことですし、私にとっても大きな財産です。

食に関わる企業だからこそ。夢だった社員食堂を実現

東京での生活を経た今、高知で暮らす魅力はどんなところに感じますか?

東京での暮らしは、本当に刺激的でした。便利で、出会いも多く、毎日が新鮮で楽しかったと思います。でも、それと同じくらい、いやそれ以上に、高知には高知ならではの魅力があるのです。

中でも、食文化の豊かさはこの土地の誇りですね。農産物や海産物、加工品、地酒まで、どれも質が高く、食卓を通して季節を感じられる。そうした日常の中に“豊かさ”が息づいています。

もちろん、生姜もその一つ。高知県の自然が育む宝物であり、私たちの生活の真ん中にある存在です。昨今、日本全体では人口減少が進み、生産者も消費者も減っている状況ですが、それでも高知の“食”には、世界へ価値を届けていける可能性があると信じています。

2024年9月には、浅野さんの夢だった社員食堂がオープンしたそうですね。そこにはどんな思いがあったのでしょうか?

きっかけは、ふと社員たちの昼休みの様子を見た時のことです。多くの社員がコンビニ弁当やカップラーメンで済ませている姿を見て、「これではいけない」と感じました。

私たちは「食」に携わる会社ですし、地元・高知の食の魅力を信じて事業をしています。その私たち自身が、毎日きちんとした食事をとれていないのはおかしい。社員には、栄養バランスの取れた健康的でおいしい食事を楽しんでほしい。そう強く思いました。とはいえ、どう実現すればいいかずっと悩んでいたのです。

そんな時、20年来の友人であるイタリアンシェフの植田さんと久しぶりに話す機会がありました。ちょうどお店の移転を控え、「もう引退しようか」と考えているタイミングだったのです。そこで思い切って、「うちで社員食堂をやってくれませんか?」と声をかけてみました。すると植田さんが「それならやってみたい」と快く引き受けてくれて、一気に夢が動き出しました。

社員食堂の名前は 「La Cantine あさの(ラ・カンティーヌ あさの)」。フランス語で、「わいわいと仲間が集まる食堂」という意味があります。ビュッフェ形式で、ワンコインの500円で食べられるスタイルにしました。

今では、社員食堂で社員が笑顔で食事をしている姿を見るたびに、「本当にやってよかった」と心から思います。ずっと温めていた“社員のための夢”が、ようやく形になりました。

高知の“食”が持つ可能性を信じ、地域の未来にまずは自分が応える

今、プライベートの浅野さんから見て、経営者としての自分はどう映っていますか?

正直に言うと、これまでの経営者人生の中で、たくさんの失敗をしてきました。社員を思うように大切にできなかった時期もありましたし、生産農家さんへの配慮が足りなかったと感じることもあります。

当時を振り返るたびに、「なぜ、もっと人を大切にできなかったのか」と悔しさがこみ上げてきます。けれど、そうした後悔と反省が、今の自分を奮い立たせる原動力にもなっています。

家族との関係も同じです。どれだけ仕事を頑張って、収入を得たとしても、家族が“しあわせ”でなければ意味がない。その当たり前のことに、ようやく気付けた気がします。仕事と同じくらい、家族と向き合う時間を大切にするようになったのが、ここ数年での一番の変化ですね。

過去の後悔が、今はご家族を思う力に変わっているのですね。ご家族との時間で、最近印象に残った出来事はありますか?

つい最近、高校2年生の長男の運動会を初めて見に行きました。彼はどちらかというとシャイで、普段あまり多くを語らないタイプなのですが、クラスメイトたちと笑いながら一生懸命ダンスを踊っている姿を見て、胸がいっぱいになりました。

「こんな表情をするんだな」と、新しい一面を見られたことがうれしかったですし、同時に、子どもの成長を実感できる“しあわせ”を改めて実感しました。あの光景を見て、「これからも家族の笑顔を見続けていきたい」と、心の底から思いました。

会社、そしてご家族の未来について伺ってきましたが、最後に「高知県」という街について、これからどう変わっていくと思いますか?

以前、高知県の産業政策課の方が、「高知県には素晴らしい農産物がたくさんある。食品産業の売上は県全体で約500億円あるけれど、これを1,000億円にまで成長させたい」と、目を輝かせながら話されていました。その情熱に心を打たれて、「自分もその力になりたい」と自然に思いました。

私自身、まずは自社の売上を倍にすることが、高知県全体の成長につながるのなら全力で挑戦したいと考えています。

そして、これからの高知にとって本当に大切なのは、四半期ごとの数字を追うことではなく、「この先の未来に何を残せるか」を見据えて行動することだと思うのです。売上というのは、思いと行動の積み重ねの先に自然とついてくるものだと感じています。

だからこそ、まずは社員一人ひとりの“しあわせ”を実現し、それを生産農家の皆さん、そして地域の人たちの“しあわせ”へと広げていく。この小さな積み重ねが、やがて高知の未来を明るく照らしていく──。私は、そう信じています。

本日はありがとうございました。