心の安定を支える非合理な時間と故郷の焼津で「循環する恩義」が育むリーダー像

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「大人の和の中に、ちょっと入れてもらえる場所だった」
祖父の代から続く製造業を承継した石田氏に取材場所として紹介いただいたのは、かつて囲炉裏やビールサーバーがあったというご実家の離れ。多様な大人たちとの交流を通じて社交性を育んだその場所で、早朝のルーティンや家族との時間がもたらす心の安定や、地域社会との「恩義の循環」を通じて得られる人間的な喜びについて話を伺った。

loconomiQ 編集長 ソウルドアウト株式会社
北川 共史 TOMOFUMI KITAGAWA
専務取締役 COO グループ執行役員

1984年北海道札幌市生まれ。2007年に株式会社オプトへ入社し、ソウルドアウト創業に参画。営業領域の責任者として全国の中小・ベンチャー企業支援を拡大し、ソウルドアウトの東証マザーズおよび東証一部上場に貢献。その後、CROやマーケティングカンパニープレジデントを歴任し、2024年より専務取締役COOに就任。
現在は「ローカル×AIファースト」戦略のもと、全国拠点展開とデジタル活用を通じて地域企業の成長を後押しし、日本経済の持続的な活性化に取り組む。

目次

幼少期に大人の和の中で育まれた祖父譲りの社交性

まずは取材場所としてご実家の離れを選んでいただきました。幼少期はどのように過ごされてきた場所なのか教えてください。

祖父が仲間内で気兼ねなく話ができる場が欲しいという想いから、半ば趣味のように設けた場所だと聞いています。夕方から仲間と集まるのが常で、祖父は植物が好きだったので、お酒が回ると庭のツアーが始まるのがお決まりでした。

家族は夕食を食べていて「また始まった……」と、急いでカーテンを閉めたりもしていました。そんな祖父に対して父は嫌がっていた時期もあったようですが、私は子どもながらに覗きに行きたくなっていたのです。

よく「タクシーを呼んでくれ」と使いっ走りに呼ばれたおかげで、当時の私からすると「おじさんたち」と話したり、ちょっかいを出したりする機会がたくさんありました。私にとっては「大人の和の中に、ちょっと入れてもらえる場所」というのが最初の思い出ですね。

石田代表の社交性はその場で育まれたのかもしれませんね。

そうかもしれません。ここは本当に様々なジャンルの方が訪れ、多様な会話がされていた場所でした。当時は囲炉裏があり、生ビールのサーバーが2種類設置されていて、酒屋さんがサーバーをセットするところから宴が始まる、そんな世界でした。

地元の方は眠くなるまで延々と飲み、遠方の方は終電までいらっしゃる、賑やかな場所でしたね。私は社員から「本当に祖父に似ている」と言われることが多く、性格は創業者である祖父譲りなのだと思います。祖父は多くの方から尊敬されていた人だったので、そう言ってもらえるのは嬉しいですね。

焼津で生まれ幼少期、青年期を過ごされてきて、現在の価値観の形成にあたって影響を受けた原体験や、この土地でのエピソードがあれば教えてください。

私の価値観の基盤は、幼稚園の頃、祖父に遊んでもらった経験から生まれた「ものづくりが好き、楽しい」という感覚です。小学生レベルですが、絵を描いたり何かを作ったりすることがずっと得意で、たくさんの賞をもらい自信にも繋がりました。

そして、社交性や、新しい環境に飛び込む力は、父から学んだ部分が大きいです。「これからは外の世界だ、英語だ」と常に言われていたので、英語にはかなり力を入れましたね。

ターニングポイントになったのは、アメリカの親戚との交流です。
母方の祖母の兄弟は第二次世界大戦前にドイツ人と結婚し、アメリカに移住したのですが、中学1年生の時にその家に滞在し、子どもながらに「日本とは全く違う世界があるんだ」と感じたことを覚えています。その後、大学時代には1年間留学しました。

やはり小学生の頃には、夏休みの自由研究も得意だったのでしょうか。

自由研究は得意な方でした。「焼津のエヂソン」と呼ばれていた祖父の影響もあるかもしれません。
実は当社は50年以上前から、焼津市の教育委員会が選定する小・中学生の優秀作品に対し、「石田賞」という賞を出しています。「将来の科学者やエンジニアを増やしたい」というささやかな思いが動機です。

私が小学校5年生の時、食虫植物の研究で、その石田賞を一度受賞してしまいました。「石田賞を石田くんが取っちゃった」と、何とも言えない状況になりましたね。

しかし、祖父が始めたこの賞のように、地域の子どもたちの挑戦を応援する取り組みは、私たちにとって誇りです。最近では、地元のサッカーチームに協賛し、小学生にメッセージ入りの下敷きを配るなど、未来の担い手への支援も大切にしています。

合理的なルーティンがもたらす心の資産と「安心」に繋がる家族との時間

ジムやサウナ、散髪など早朝のルーティンがあると伺ったのですが、石田代表にとって「朝の生産的な時間」は、心の安定や充実感にどのような影響を与えていますか。

二人目の子どもが生まれた際、「自分の時間がない」と感じ、単純な発想で早朝シフトに変えました。一番多いのは、朝4時から4時半の間に起きてすぐにジムへ行くルーティンです。その他に、振り返りやそれを通じて感謝するべき人を綴った「感謝リスト」の更新、重要度の高い「考え仕事」を少しやります。

また、月に1回か2回は3時半に起きて、朝5時から営業している理髪店で散髪をする日もあります。このルーティンを続けることで、「みんなが動き出す前に、一日の準備が全部終わっている」という感覚になり、心に余裕が生まれます。多忙な中でも、この早朝の集中した時間が、私の精神的な安定と充実感を維持してくれています。

石田代表は「毎日3時間は家族の時間を持つ」というルールも徹底されているとのことですが、多忙な経営者でありながらなぜ実現できるのか、またその時間を通じて得られる「人間的な喜びや癒し」について教えてください。

家族は、私にとって「安心」と「安定」に繋がる、最も近い共同体です。
言葉でうまく表現するのは難しいですが、家族との繋がりや、その場所で生まれる感情は何にも代えがたく、人間的な充実感や癒しになっています。

子どもとの触れ合いでは、自分の仕事の思考とは全く異なる予測不能なことが起こります。その非合理性や、計画通りにいかない状況さえも一緒に楽しむ時間から得られる学びも多いです。家族との時間があることで、当たり前のことに感謝するという、仕事の中では忘れがちな感覚を取り戻すこともできるように思いますね。

石田代表のプライベートにおける「ルール化」や「最適化」の思考は、厳格さと正確性が求められる水産加工が根付く焼津の土地柄から影響を受けているのでしょうか。

私のプライベートでの「ルール化」や「最適化」という思考は、実は地域の特色とは逆にある気がしています。

静岡県は自然災害が多いにもかかわらず「なんとかなるだろう」という思考が根付いています。静岡弁で「しょんねーら」と言い、「計画通りにいかなくてもどうにかなるだろう」と楽観的な考えが広まっているのです。

焼津の漁業も同じで、「今回の漁では魚が獲れなかった。しょうがないか」と、自然の摂理として受け入れる傾向が強い。この土地の文化は、むしろルールや計画性とは少し離れているため、私の合理的なルーティンはこの土地が育んだものではなく、「なんとかなるけれど、限られた時間で合理的に最大の成果を出したい」という個人的な性向から来ているのだと思います。

都心では実感しにくい焼津ならではの「恩義の循環」

地元民の一人として、地域社会や焼津に住む人との繋がりをどのように大切にされていますか。

近隣の方々は昔からの知り合いばかりで、「家族より少し外側」くらいの気持ちでいます。葬儀をするとなれば近所の方が助けに来てくれる。この地域では「土人衆」と呼ぶのですが、知り合い以上で家族よりも少し遠い、この地域特有の絶妙な距離感で助け合っています。

もう少し広い地域社会との繋がりでは、私たちが歴史上お役に立ってきた産業の方々と、今でも仲良くさせていただいています。この交流の中で大切にしているのは、世代を超えた「持ちつ持たれつ」の価値観です。「おじいちゃんにお世話になったよ」という言葉をいただくと、「今度は自分が力になろう」と恩義を繋ごうという気持ちになります。これは東京では得られない、焼津ならではの繋がりです。

そのような繋がりは東京では得られないですよね。先ほどは自由研究などのスポンサーをされているといったお話もありましたが、同様の地域貢献は他にもされているのでしょうか。

地域貢献として分かりやすいものでは地元のお祭りや花火大会、神社のお祭りなどへの協賛をしています。また、地域の新聞が企画する応援プロジェクトにも、積極的に協力しています。

さらに、未来の地域社会を担う人材育成にも力を入れています。
特に科学者や工学者、エンジニアを育てるための活動には注力しており、先ほどお話しした「石田賞」の継続はもちろん、日常的に大学や学校での講義に協力したり、専門家を育てるためのプログラムのスポンサーを務めたりすることも行っています。

当社の技術で地域に貢献するだけでなく、未来の担い手を育てるという観点での貢献も大切にしています。

素晴らしいですね。大切にされている地域のみなさんとのつながりを通じて得られるものについて、詳しくお聞かせください。

例えるなら「循環している何か」なのだろうと思っています。
自分の想像よりも外の世界で、過去の恩義や繋がりが回りまわって戻ってくる感覚があるのです。当然、その中にはビジネスの機会もありますが、「あの会社はお父さんを知っているから安心だよ」といった信頼の土台を築いてくれるのが何よりありがたいですね。

最近も新工場建設の協力会社の顧問が、偶然父と繋がっていたというような、ひょんなところで繋がりが確認できることがよくあります。この繋がりは、意図的に作ろうとするものではなく、自然に「紡いでいる」感覚に近いかもしれません。

祖父や父の代から続くこの世代を超えた繋がりが、当社の活動全体に安心感を与えてくれています。これからも私たちは、このネットワークを大切に育んでいきたいと思っています。

「何でもありそう」な焼津の豊かさと地方で事業を継承する責任

「地元民」としての視点から見て、焼津という地域が持つ最も大きな魅力や可能性はどういうところでしょうか。

地元民としての視点から見て、焼津は「何でもありそう」な気分にさせてくれるのが最大の魅力です。
まずは当然のように魚が美味しい。魚が美味しいと、それを使ったご飯も美味しくなります。そうすると、自然と人が集まってきます。ご飯が美味しいとお酒も美味しくなります。ビールに限らず、美味しい日本酒の酒蔵もあります。さらに、天気も良く、海もあれば山もあるという、生活環境の豊かさがある。

つまり、美味しい食を核として、人が集まり、良い酒があり、自然に恵まれた環境がある。このすべてが揃っている多様性こそが、焼津の大きな魅力であり、新しい可能性を生み出す土台になっているのだと感じています。

焼津で暮らす人達についての特色、日常的に感じられていることはありますか。

静岡県民は全体として非常に穏やかです。運転を見ていても、交差点での右折ひとつとっても、対向車との車間が十分に空かないと動かないなど、のんびりしている印象があります。

一方で、焼津は魚を扱う漁師町です。魚というのは元来相場モノなので、タイミングとスピードが命の商売です。そのため、競りをはじめ時間に追われる場面が多く、非常にせっかちな気質があるように思います。県民性としての穏やかさと、産業に根差した特有のせっかちさが混在しているのが、この街の分かりやすい面白さだと感じています。

そんな焼津で事業を続けることの責任について、どのような想いを抱きましたか。

焼津という地域で事業をすることに対しては、特にポジティブな想いもネガティブな想いもありませんでした。工場はすでに償却が終わっていて負担なく使える状態でしたし、工場拠点がある場所は地価が低いのが当然でもあるため、都心に構える発想もありませんでした。

お客様も当時から全国にいるので、立地的なビハインドは特に感じていませんでした。
ただ、改めて考えると、東京・大阪という大動脈に挟まれた立地は、非常にラッキーだったと思います。アクセス面での立地的な優位性は、事業を多地域に展開する上で大きな助けになっています。

地域産業の「生と死」が身近な焼津だから感じられるリアル

会社を継がれたのは、「代表として戻る」という明確な覚悟をした上でのご決断だったのでしょうか。

いずれ会社に戻り、自分が代表としてやるという覚悟は、おぼろげながらずっと決めていました。きっかけは父の体調不良でしたし、都内でやりたいこともありましたが「戻らなきゃ」という強い気持ちは揺るがなかったのです。

実際、会社に戻ったのが2015年、代表になったのが2020年ですが、この5年間はまさに「ボール拾い」のような期間でした。社員28名、製造部門が中心で、組織の業務に穴があちこちに落ちている状態だったのです。私はそれを見つけて拾って投げ返す穴埋め役をしていました。

そこから「生き残り、勝ち残る製造業になるためには」という視点で会社を再構築し、技術者の採用・育成や自社プロダクト開発の基盤固めを進めました。この地道な5年間があったからこそ、今の変化の速度を生み出せていると感じています。

もし2020年当時にいきなり代表へ就任していたとしたら、今とはまったく異なる状況だったと思いますか。

周りの社員も私についてきてはくれなかったでしょうし、時間が全く足りなかったはずです。代表になる覚悟はありましたが、やりたかったことの実現には今よりずっと時間がかかっていたと思います。

あの5年間で、ボール拾いのような地道な穴埋めや組織の再構築をやりきれた。この積み重ねがあったからこそ、今のような変化の速度を生み出せているのだと感じています。

焼津にU/Iターンを検討している方に向けて、「地元民」として、この地域で働くこと、生活することの具体的な魅力や可能性を、社長自身の生活実感に基づいて教えてください。

まず伝えたいのは、「いろいろ試せるフィールドがある」ことです。
地方、特に焼津はお客様との距離が非常に近く、自分のアイデアがそのままの形で実現したり、大きな裁量を持ってプロジェクトを進められたりします。技術者にとって、この実践の場があることは大きな可能性を秘めています。

2つ目に伝えたいのが「生まれるものと死ぬものが近い」ことです。
魚も農産物も採れる静岡は、生活からすぐ近くで「生」を実感できます。一方で、少子高齢化による産業の衰退や市町村の消滅など、「死」を身近に感じるエリアでもあります。

それぞれ都市圏では遠い存在になりがちですが、ここでは「朝競りがやっている」「みかんが採れる」といった生を実感しつつ、その産業が廃業していく現実にも直面します。「生まれるもの」と「死ぬもの」が近く、リアルな今を感じられるこの環境こそ働くうえで大きな魅力になるのではないかと思います。

さまざまな背景によらず生きていける人を目指して

これから実現したい「仕事や経営とは別の夢や目標」があれば教えてください。

私が目指す個人的な夢は、尊敬する教授の言葉をそのまま借りた「文化的、歴史的、宗教的背景によらず生きていける人」になることです。

就職活動をしていた当時、最初に内定をもらった際に「本当にこれで良かったのか」と悩み、高校時代の文集を読み返したら「海外に行きたい」「大学院に行きたい」と書いてあり、改めて進路を決めなおしました。

元々メーカーに就職しようと考えていましたが、さまざまな経験を経て「新しい事業やマーケットを切り開く方が、さまざまな背景によらず生きていける人になれる」と考えるようになりました。ただモノを作るだけでなく、機会を作り出し、お客様のプロジェクトを切り開いていく経験が、この普遍的な夢の実現に繋がっていくと信じています。

石田代表を信じてついてきてくれている社員の方に対しては、どんな人生を送ってほしいですか。

私を信じてついてきてくれている社員たちには「自分の好きなこと、得意なこと」が発揮できる場所をどんどん作ってあげたいと思っています。

そして、その場所で「自分、できるじゃん」という成功体験を積み重ねていってほしいですね。その「できる」感覚が当社の事業を通じて「世の中の役に立っている!」「これ、私がやったんだ!」という実感とともに、社会へと還元されていくものだと考えます。会社としても、社員がそう感じられる機会をたくさん生み出していきたいです。

本日はありがとうございました。