秋田県男鹿市。かつてシャッター通りだった駅前に、飲食店やホテルなど様々な施設をわずか4年で9拠点を誕生させ、年間5万人もの人々を呼び込む仕掛人が、2021年創業の稲とアガベ代表の岡住修兵さんです。
同社は、日本酒の醸造技術をベースにフルーツやハーブを共に発酵させた新しいお酒「クラフトサケ」の醸造メーカー。日本政策金融公庫や秋田銀行などの金融機関から異例ともいえる額の資金調達を度々実現し、クラフトサケを起点に男鹿のまちを未来に残すことを目指して活動しています。
「大好きな日本酒文化を次世代へつなぎたい」という岡住さんの、人生を懸けた挑戦に迫ります。
1984年札幌市生まれ。2007年オプト入社、ソウルドアウト創業に参画。営業責任者として中小・ベンチャー支援の拡大を牽引。事業成長ならびに上場に貢献した後、CRO、マーケティングカンパニープレジデントを経て、2024年より専務取締役COO。現在は「ローカル&AIファースト」構想を掲げ、全国拠点展開とデジタル活用を通じた地域企業の事業成長支援を推進。2026年4月、代表取締役社長CEOに就任。あわせて、博報堂DYホールディングス執行役員に就任。
目次
お酒の「聖地」を目指して旗を立てる
創業4年で9拠点という凄まじいスピードで様々な業態の拠点を展開されています。岡住さんは今、男鹿のまちをどのような場所にしたいと考えられているのでしょうか?
僕が実現したいのは、男鹿のまちを、「お酒の聖地」にすることです。
稲とアガベを立ち上げるまでの準備期間に出会った、新潟にある「カーブドッチ」というワイナリーがこの構想のロールモデルになっています。
カーブドッチは、かつては砂地と松林に囲まれた土地でした。何もなかった場所を切り拓いてぶどう畑を耕し、ワイナリーを建て、レストランやカフェ、温泉など多様な施設が軒を連ねています。さらに「ワイナリー経営塾」を主宰して後進を育て、卒業生が周辺で次々と新しいワイナリーを立ち上げているのです。
何もない場所でも、ワインを起点にいろいろな機能がまちに実装されることで、世界中から人が集まるワインの「聖地」になっている。このカーブドッチの日本酒版をやりたい。そう考えました。
お酒の「聖地」。単なる構想に留まらず、岡住さんの覚悟を感じる言葉です。そのビジョンに辿り着いた背景を教えてください。
自分たちの事業を改めて見つめ直し、「僕たちが本当に目指すべき到達点はどこなのか」と突き詰めて考えたとき、自然と「聖地」という言葉が出てきました。
当初は「男鹿酒シティ構想」という名前でプロジェクトを進めていました。しかし、もっと大きなものを目指さなければならないと気づいたんです。掲げる旗が大きければ大きいほど、そこには志を同じくする多くの仲間が集まり、より大きな資本も動き出します。
この構想を、夢物語ではなく、具体的な手触り感のあるものとして描き切らなければ、実現できません。だからこそ、大きくビジョンを語り、多くの人を巻き込んで、その力を借りながら一歩ずつ「聖地」への土台を固めているところです。
「聖地」という言葉に引き寄せられるように多くの企業が集まり、次々と、男鹿でのプロジェクトに参画しています。岡住さんご自身は、現場でどのような動きをされているのでしょうか?
僕自身の役割は、「旗を立てる」ことだと思っています。
やりたいことは山ほどありますが、悠々と進めていては、このまちの衰退スピードには到底追いつけません。だからこそ、できるだけ早く実現していきたい。ただ、形にするには当然「ヒト・モノ・カネ」という要素が不可欠です。ただ、それらを無理やり搔き集めて進めるのは好きではありません。
なので僕は常に、100以上のプロジェクトの旗を立てています。そして、日々様々な出会いがあるなかで、共鳴してくれる仲間やタイミングが揃ったものから、形にしていくんです。よくある「目標から逆算して積み上げる」というやり方だと、どこかで必ず無理が生じると思うんですよね。必要な要素が揃ったものから着手する。そのほうが、結果としてスムーズで、かつ確実だと思います。
もちろん、スピードを優先するなかで肉体的なハードさはあります。ですが、事業の進め方として、極力無理のない状態を模索してきました。その結果が、4年で9拠点という形ですね。
ご縁を大切にされているんですね。パートナー企業の顔ぶれを拝見すると、大手企業の名前も目立ちます。どうして彼らは関わってくれるのでしょうか。また、彼らが動きやすくなるような仕組みは、どのように設計されているのでしょうか?
ベースにあるのは熱量と行動で得た信頼ですが、仕組みとしては、「入口」をわかりやすく設計し、相手にとっての「関わりしろ」を用意しておくことを意識しています。
例えば、三菱地所グループさんとの連携。現在、男鹿のまちづくりを多方面でサポートしてくれていますが、そこには彼ら自身の課題に対する解決策も含まれています。彼らが普段向き合っている都市部での大規模な再開発の現場では、計画に20年、設計に20年といった非常に長いスパンでプロジェクトが進みます。すると、若くて優秀な人材ほど、仕事の成果を実感できずに会社を辞めてしまうそうです。
そこで、若手の教育プログラムとして「男鹿」というフィールドを提供する。男鹿では、自らの手で建物を設計し、なんなら運営まで関わることができます。会社にとっては、優秀な人材をつなぎ止めるためのキャリアステップにもなるわけです。そんな提案をきっかけに、いろいろな取り組みをご一緒してきました。
するとここ数年、新卒採用の志望動機に「男鹿での取り組みに惹かれたから」といった言葉が入るようになったそうです。おもしろいですよね。
資本主義の力学から距離を置き、文化をつくる
様々な事業を猛スピードで進めるなかで、避けて通れないのが資金の話です。岡住さんは、スタートアップがよく用いる「エクイティ(株式発行)」ではなく、あえて「デッド(銀行・金融機関からの融資)」にこだわっていると伺いました。どのような経営判断があるのでしょうか?
正直に言えば、「現時点で借りることができているから」という側面もありますが、根本にあるのは、「文化をつくるために、短期的なリターンを求める資本主義の力学から距離を置きたい」という思いです。
エクイティで資金調達をすれば、投資家に対して短期的な成長やリターンを約束しなければなりません。そうなると、経営の自由度は制限され、彼らを納得させるための緻密なストーリーを一から描き、説得して回る必要があります。
また、僕たちはIPO(新規上場)をゴールにしているわけではありません。文化の土台をつくっているんです。だからこそ、経営の舵取りを自分たちで握り続ける。信頼を積み上げ、地域の銀行を説得してデッドを引く方が、意思決定のスピードも、文化を守るという目的においても、圧倒的に合理的でした。
なるほど。そうなると、IPO(新規上場)は今後も選択肢には入ってこないということでしょうか?
IPOは、一つの手段でしかないと思っています。もし将来的に、僕たちが目指す場所へ行くために上場という手段が必要になれば、そのときは目指すようになるかもしれません。
株主が増えれば当然コストもかかりますし、求められる役割も変わります。そのコストを許容してでも得られるメリットがあり、かつ、自分たちの目指す未来との辻褄が合うのであれば選択肢として浮上してくる。そんな感覚です。
IPO自体を否定しているわけではありません。ただ、一度舵を切ると、資本力がもつ強い「引力」に抗えなくなる瞬間がやって来ます。僕らが大切にしたいことが壊れてしまうのであれば、本末転倒だと思うんですよね。
ただ、今のやり方にもいつか限界がくると感じています。おかげさまで本業も事業全体も順調に伸びていて、今期の目標はおそらく達成できるでしょう。ですが、その先の未来を見据えたとき、今とは別の手段をいろいろと模索しているところです。
既存の資本主義のシステムだけでは、岡住さんが描く未来に合わない。そんな危機感がある、ということですね。
そうです。一般的な外部資本を入れてしまうと、どうしても「5年で100億、そこからIPO」といった数字の話だけが議論の軸になってしまいます。それでは僕たちが大切にしているものが守りきれない。そこで今、新しいファンドをつくろうと動いています。
僕たちのように、地域で文化をつくろうと挑戦をしている「カルチャープレーナー(文化起業家)」たちに対して、適切にお金が入る仕組みを社会実装したい。
本来、文化の醸成は、非常に長い時間軸で見守るべきものです。時間軸が短くなると、どうしてもどこかに無理が生じ、急成長を図るために、本当はやりたくないことまでやらざるを得なくなる。
いかにして、文化を育むための豊かな時間軸を確保できるか。その長い時間軸を許容し、支えられるようなファンドをつくりたいと考えています。
愛する日本酒文化を次世代へ。自分がやらなければ誰がやる
文化をつくるという非常に強い覚悟を感じました。2022年には、岡住さんが会長となり、6社で「クラフトサケブリュワリー協会」を設立。日本酒製造免許の壁を越え、「その他の醸造酒」免許を活用して「クラフトサケ」という新ジャンルを確立されました。新しい文化をつくるチャレンジには、どのような想いがあるのでしょうか。仲間を募り、自らその先頭に立つのはどうしてなのでしょうか?
情熱をもった造り手が自由に酒造りに挑戦できる世界を実現したい。「クラフトサケ」の社会的な地位を確立し、これから生まれる醸造所を支えることで、日本により豊かなサケ文化を築いていきたいと考えています。
現在、日本では新規の日本酒製造免許は原則として発行されていません。そこで、既存の制度のなかで新しい可能性を広げる方法として、「その他の醸造酒」という免許を活用し、「クラフトサケ」というジャンルをつくりました。米と麹に、ホップやハーブ、果実など、様々な副原料を加えて発酵させた、今までにない味わいのお酒です。
もし僕が日本酒を造りたいだけであれば、既存の蔵を引き継ぐという道もありました。でも、僕はそれを選びませんでした。大好きな日本酒文化、日本酒造りという産業を未来につないでいくために、新しい入口をつくる必要があると考えたんです。
日本酒を守るための制度がある一方で、今の仕組みのままでは、新しい担い手が挑戦しにくい側面もあります。長い歴史をもつ日本酒文化を次の時代へつないでいくためには、伝統を大切にしながらも、新しい造り手や新しい表現が生まれる余地を広げていくことが重要だと思っています。実際、日本酒の製造量はピーク時の4分の1にまで落ち込んでおり、業界全体としても、未来に向けた新たな挑戦が求められていると感じています。
まさに閉ざされた業界に風穴を開ける挑戦です。実際にジャンルを確立したことで、どのような変化が起きているのでしょうか?
「こんな方法があるのか」と、日本酒を造りたかったけれど諦めていた多くの若者たちの希望になり、すでに30件以上の新規参入がありました。
市場なんて、まだあってないようなものです。プレイヤーが増えれば増えるほど、生活者が「クラフトサケ」に触れる接点が生まれます。そうして市場全体が盛り上がれば、パイオニアである僕たちも自ずと伸びていくはず。
仲間を増やし、分母を広げる。その積み重ねによって、クラフトサケが日本酒とは異なる新しい選択肢として、少しずつ文化になっていくのだと思います。
新規参入が30件以上とは、法律の壁によって諦めていた人が多かったのだと驚かされます。法律が、この業界で挑戦する機会を奪っていたということでもありますね。
法律だけではありません。今の業界構造そのものが、新しい挑戦を難しくさせています。
昔は日本酒の酒蔵も多く、どこかの酒蔵に入って修行を積み、製造責任者である「杜氏」というトップポジションを目指す、明確なキャリアパスがありました。しかし今は酒蔵の数自体が減り、結果として杜氏のポストが減っています。しかもこの業界は職人の息が長く、80代、90代の杜氏もいらっしゃるんです。
さらに最近では、社長が杜氏を兼任する蔵が増えており、かつては分業されていた経営と製造も、トップ自らが製造責任者(杜氏)も務めるようになりました。そうなると、外から入った若者がどれだけ実力をつけても、なかなかポジションが回ってきません。「ここに自分の将来はないな」と気づいた人から、業界を去っていく。それが今の現実です。
例えばクラフトビールの世界なら、修行の先に「自分の醸造所を立ち上げる」という選択肢があるので、過酷な現場でも頑張れるわけです。ですが日本酒は、独立して蔵をもつことがかなり難しい。若い人が夢を持てない業界のままでは、新しい担い手は育っていかないと思うんです。
岡住さん自身も、その「壁」に正面からぶつかった一人だったんですね。
免許について詳しく知らなかった当初は「国に認められるくらい実績を積めばいい」と考えていました。ですが、調べていくうちに、どうあがいても無理だと分かりましたね。
であれば、法律そのものを変えるしかない。単純な話ですが、それが僕の人生のテーマになりました。構造的な欠陥を変えて、僕の大好きな日本酒の明るい未来をつくりたいと考えています。
国内で日本酒が造れないため、近年では海外で醸造を始める方が増えていると伺いました。
そうです。彼らは「日本酒」という名称は使えなくても、「サケ(SAKE)」として、新しい酒造りに取り組み始めています。
このままでは500年後、ワインの起源がジョージアであっても、現在はフランスやイタリアのイメージが強いのと同じように、「日本酒といえばアメリカだよね」という世界になっていてもおかしくありません。僕はそんな未来は見たくない。
もちろん、長い歴史をもつ日本酒業界の内側からは「免許の仕組みを変えよう」という動きは起きづらいと思うんです。僕のような外から来た分子にしか、構造的な変化は起こせません。だからこそ、少しばかり使命感を感じています。
僕は、日本酒で一生生きていく、と覚悟を決めています。もし僕が今変えられなければ、次のチャンスが来るのは100年先になってしまうかもしれない。日本酒という文化を次世代につないでいく一員として、その可能性を少しでも広げる挑戦をしています。
まちを残すために、法律を変え、文化の柱をつくる
今後、この強固な構造は変わっていくのでしょうか?
仲間は着実に増えています。あと2年では難しいかもしれませんが、5年後には景色が変わっているような気がしています。
ただ、これまでの道筋については、正直「正面から行きすぎて失敗したな」という反省もあります。以前の僕は、業界に味方を増やすことよりも、あえて対立構造の中で戦うことを選んでしまった。戦略ももたず、ただ正面突破で試みては弾き返されて。これからは、もっと戦略的に、しなやかに動かなければならないと考えています。
実は、僕たちのこの5年間の活動を追ったドキュメンタリー映画が完成したんです。これが手前味噌ですが、本当にいい映画で。観た人の8割が「法律を変えなければ」と感じるような、強い力をもった作品になりました。これから海外の映画祭に出品していく予定です。世界的な評価を受けることができれば、世の中の機運は一気に高まるはずです。
ただ、映画で外から圧力をかけるだけだと、また対立を生んでしまいます。だからこそ、映画で機運を高めつつ、同時に業界内での対話や合意形成も丁寧に進めていく。外と中、両方のアプローチが必要ですね。
大好きなお酒の世界で、本来は仲間のはずである人たちと対立するのは、とても辛いことだったのではないでしょうか?
正直に言えば、日本酒業界の半分くらいの人には、かなり嫌われていると思います。得体の知れない、何か悪いことを企んでいる怖い奴だと。
実は数か月前まで、僕は「法律を変える」という活動に対して、心が折れかけていました。あえて発信を控え、息を潜めていたんです。僕が大きな声を出すほど相手も頑なになり、さらなる反発を生んでしまう。でも、語るのをやめると、自分自身のテンションまで下がっていく。そんな負のスパイラルの中にいました。
そこから再び、前を向くきっかけがあったのでしょうか?
北海道の東川町で「デモクラシー(民主主義)を語る会」に参加したことが大きな転機になりました。そこで出会った、被選挙権の引き下げを求めて活動する大学生たちの言葉が胸に刺さったんです。
「一番力があるはずの大人たちが動いてくれない」。その嘆きを聞いたとき、自分の情けなさに涙が出ました。
そのとき、僕がやろうとしていることは「民主主義への挑戦」なんだと気づいたんです。誰もがおかしいと感じているのに、誰も変えられない法律がある。もしこれを突破できなければ、この国の未来はない。逆に言えば、ここをこじ開けることができれば、後に続く多くの若者に勇気を与えられるはず。
心が折れてる場合ではない。「僕が軽やかにこの法律を変えてみせる」。そう言って、男鹿に帰ってきました。叩かれてもいい。嫌われてもいい。背中を見せるのが僕の仕事です。
その覚悟をもって踏み出す具体的な一歩が、男鹿市を「日本酒特区(特定の地域で日本酒造りを可能にする制度)」にする、という挑戦なのですね。
男鹿市が「日本酒特区」になれば、日本酒を造りたい若者が全国から集まり、小さな醸造所が3軒、5軒、10軒と増えていく景色をつくれます。
僕がこれまでつくってきたコンテンツも、今のままでは「打ち上げ花火」で終わってしまうかもしれません。でも、男鹿に小さな醸造所が集まり、それぞれの造り手が酒造りを続け、その営みが30年続けば、それはもう一過性のブームではない「文化」になります。法律を変え、このまちの産業の土台を築くことができれば、それは文化になり、男鹿は未来へと残ります。
農家のお米は見積りの2倍で買い取る
法律の壁との戦い、新しいジャンルの確立。産業の土台をつくるための壮大な挑戦ですが、それを支えるビジネスモデルとしては、どのような工夫をされているのでしょうか?何か酒造りに特徴があるのでしょうか。
お米を磨かないことです。
一般的に日本酒は、米を磨く(削る)ほどに雑味が減り、価値が上がるとされています。しかし、精米の過程で生じる大量の米粉や米ぬかは、費用を払って捨てる産業廃棄物になってしまうこともあります。
そこで僕たちは、精米歩合90%の自然栽培米を使用しています。磨かないことで、米本来の旨みや複雑な味わいをそのまま酒に表現できます。さらに、原料コストが大幅に抑えられ、利益率を高めることができるのです。また、近年廃棄率が高まっている酒粕も、加工して価値ある副産物として商品化しています。
そうやって利益率がよくなる分、米農家さんにも多く還元しています。制約が多いからこそ知恵を絞り、工夫する。その工夫こそが、僕たちを強くしてくれます。
「磨かない」という日本酒の常識から外れた造り方が、クラフトサケ独特の味わいだけでなく、食品ロスの削減や生産性の向上など、合理的なビジネスモデルにつながっているのですね。では、お米の買取価格はどのように設定しているのでしょうか?
僕たちは農家さんのお米を見積りの「倍」の価格で買い取っています。
農家さんを豊かにできるほどの金額ではないかもしれません。ですが、倍で買い取れば、少なくとも生活に困ることはなくなります。農家さんたちが、生活に困らない状況で働いていれば、その背中を見た子どもたちも「農業をやりたい」と思うかもしれない。
僕たちが倍で買い取ることは、日本酒文化の土台である「農業」を守るためにも大切なことだと考えています。
酒は地域のメディア。ど真ん中にあるのは酒造り
「まちづくり」も、稲とアガベにとって大きな事業の柱です。本業である「酒造り」と「まちづくり」、この二つにはどのような相関関係があるのでしょうか?
ビジネスモデルの観点でみると、まちづくりは僕たちの強力な「武器」になっています。
お酒だけを造っていたら、掲載されるメディアは専門誌や経済紙に限られるでしょう。でも「エリアのまちづくり」をセットで行うことで、露出の幅は一気に広がりました。知名度が上がれば、地元の金融機関も「地域のために」と動いてくれる。「まちをつくっている」というダイナミズムがあるからこそ、稲とアガベには多様な人が集まってくる。酒造りとまちづくりの相乗効果によって、人・物・金が集まる構図が生まれているんです。
ただ、まちづくり事業そのものの収支はトントンでいいと考えています。利益を追うことよりも、そこにあるメリットの方が遥かに大きいからです。自分たちの住む場所を自分たちで住みよくしていけば、移住してきたメンバーも定着してくれます。そして何より、まちづくりという「場」があることで、あらゆるリソースを呼び込むことができます。
ただ、ここで絶対に忘れてはいけないのが、「僕らの真ん中はずっと日本酒」だということです。
あくまで「お酒」がすべての起点である、と。
僕たちはよく「お酒は地域のメディア」だと言っています。
お酒は地域の名刺であり、飲んだ人に「その場所へ行ってみたい」と思わせる特殊能力をもっています。世界中で飲まれたお酒が、僕たちが意図せずとも勝手に伝道師となって、男鹿に人を引っ張ってきてくれる。この構造が重要なんです。
他の観光資源やサービス業は「そこに行かないと」成立しませんが、お酒というプロダクトは、手に取ったその瞬間からビジネスが成立しています。PRにコストをかけなくても、お酒を売るだけでまちを知ってもらえて、来てもらうきっかけになる。
だからこそ、常に一番頑張るべきは「お酒」なんです。お酒が美味しくなり、世界中に広がれば広がるほど、まちとしての価値も自ずと上がっていく。この「強いプロダクト起点のまちづくり」こそが、僕たちの最大の強みだと考えています。
酒造りを起点に、男鹿を「お酒の聖地」へと変えていく。稲とアガベのこれからの挑戦を楽しみにしています。
クラフトサケという新たなジャンルをつくり、日本酒文化を未来につなぐため、男鹿の地から挑戦を重ねてきた稲とアガベ。その背景には、人生の意味を問い続け、偶然目の前に転がっていた酒瓶に人生を賭けた岡住氏の哲学があります。B面では、悩み続けた青春時代から酒造りとの出会い、そして「どうせ死ぬから、利他であれ」という生き方に迫ります。
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