「男鹿の風土を醸す」を理念に掲げ、凄まじいスピードでまちの景色を塗り替えていく稲とアガベ。「醸す」とは、原料を発酵させてお酒や醤油、味噌などを造ること。そして比喩的に、ある状態を少しずつつくりだすことを意味しています。
男鹿のまちで、新しいお酒を醸し、文化を醸す、稲とアガベ。その中心に立つ岡住修兵氏から零れ落ちるのは、「お酒を選んだのは、たまたまそこに酒瓶があったから」「僕は意志が弱い人間だ」という意外な言葉の数々でした。
悩みに悩み見抜いた青春時代。そして秋田の銘蔵・新政酒造での修行を経て辿り着いた男鹿。彼を突き動かしているのは、「どうせ死ぬなら、死ぬまで命を燃やしたい」という熱くて、真っ直ぐな思いです。
「辺境から革命を起こす」。男鹿で未来を醸し続ける一人の醸造家の物語を紐解きます。
1984年札幌市生まれ。2007年オプト入社、ソウルドアウト創業に参画。営業責任者として中小・ベンチャー支援の拡大を牽引。事業成長ならびに上場に貢献した後、CRO、マーケティングカンパニープレジデントを経て、2024年より専務取締役COO。現在は「ローカル&AIファースト」構想を掲げ、全国拠点展開とデジタル活用を通じた地域企業の事業成長支援を推進。2026年4月、代表取締役社長CEOに就任。あわせて、博報堂DYホールディングス執行役員に就任。
目次
悩みに悩んだ青春時代。目の前に転がっていた酒瓶に人生を賭けた
B面の取材場所として、水源地「滝の頭」にやってきました。岡住さんにとってここはどのような場所ですか?
歩きながら考え事をしたり、アイデアを練ったりする場所です。移住して一年目くらいの頃は、特によく訪れていました。最近では、月に一回ほど、誰かを案内するときに来るくらいですが。
ここの水は、酒の仕込み水としても使わせていただいています。男鹿のシンボルである「寒風山」に降り注いだ雨が、地層に染み込み、20年という長い歳月をかけて岩肌から湧き出たものです。非常に美しい、透明度の高い中軟水の天然水です。
これだけ美しい場所の水を使わせていただく以上、うまい酒をつくらなくてはいけないという覚悟が自然と湧いてくるようなお水ですね。
「滝の頭」は岡住さんや稲とアガベにとって、大切な場所なのですね。では改めて、岡住さんが男鹿の地で稲とアガベを起業されるまでの経歴について教えてください。
福岡県北九州市で生まれ、高校卒業までを地元で過ごしました。その後、神戸大学経営学部に進学し、アントレプレナーシップやベンチャーファイナンスを学び、この頃から起業家を志すようになりました。大学卒業後は、秋田県の新政酒蔵にアルバイトとして入社。4年半酒造りを学び、その後、酒造りの原料である米を深く知るために、同じく秋田の大潟村にて自然栽培の米作りを学びました。
2020年3月に、創業に向けた販売実績を作るため、親交のあった群馬県の土田酒造さんに依頼して、第一弾の醸造酒「稲とアガベ Prototype」をリリースしました。
その半年後の2020年6月には、自身の事業計画と並行して、1年限定の約束で東京都・蔵前のどぶろく醸造所「木花之醸造所」の初代醸造長に就任。スペースがかなり限られていることに加えて、東京の水道水を使って仕込まなければならないので、制約があるなかでの酒造りの工夫を学ぶことができましたね。
そして2021年5月、それまでの委託醸造での販売実績や事業計画が評価され、日本政策金融公庫と秋田銀行から2億円超の融資を受けることができ、同年11月、旧JR男鹿駅舎を改装して「稲とアガベ醸造所」をオープンしました。
出身は北九州なんですね。ご家族のことを教えてください。
父も祖父も経営者で、曾祖父が立ち上げた会社は今や社員500人規模で、現在は父が社長を務めています。ただ、幼い頃から「継がなくてもいい」と言われて育ってきたので、僕も兄も弟も、誰も継ぐ気配はありません。
父からの教えは、唯一「人に迷惑をかけるな」ということだけでした。今でも、毎年福岡へ出張するときには、父がお客さんとして会場に来てくれるんですが、そこで15秒ぐらい言葉を交わすくらいです。
母は専業主婦でしたが、かなりパワフルでぶっ飛んだ人なんですよね。年齢を重ねてから急に保育士の資格を取りに行くなど、思い立ったらすぐに行動するタイプで。
個性的なご家族ですね。では、故郷である北九州は、岡住さんにとってどのような場所なのでしょうか?
正直に言うと、北九州のことはあまり好きではなくて…。青春時代、ずっと悶々と悩み続けていたので、思い出すと当時の自分がフラッシュバックしてくるんです。「嫌な時代の自分」に出会ってしまう場所といいますか。
小中高、そして大学でも、僕は「なぜ人は生まれて、そして死ぬんだろう」ということばかりを、ずっと一人で迷い続けていました。
周りの大人に聞いても「いいからやれ」というテンションじゃないですか。納得のいく答えなんてどこにもなかった。本当に、辛かったですね。
そうだったんですね。大学卒業を控えて、その後の進路にも相当迷われたのでしょうか?
実は唯一、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の採用試験だけは受けたことがあるんです。
当時の僕には「就職をする」という意味が全くわかりませんでした。大学を卒業したら働かなければならない、いい大学を出たら大手企業に行かなければならない。そのすべてが気持ち悪くて。
就職活動が始まった途端、みんな一斉に髪の毛を黒く染めて合同説明会に行く。そんな既存のシステムに組み込まれるのが、どうしても嫌だったんです。誰かに用意された人生を歩かされている気がして。そのなかで、唯一「夢がある」と思えたのが宇宙業界でした。
人類にはいくつかのタイプがあると思うんですが、僕は「遠くへ行きたい」人間なんだと思います。重力を振り切って、遠くへ行くことに憧れがありました。
子どもの頃から、言葉にできる世界と言葉にできない世界の狭間に、一番の衝動を覚えていたように思います。星空を眺めると、自分のちっぽけさに気づく。無限に拡張し続ける宇宙なんて、意味がわからないじゃないですか。「600年前の光を見ている」なんて、理屈を超えたわけのわからない宇宙の大きさに圧倒されていました。
JAXAだけは受けようと決めて、ヒッチハイクで鹿児島まで行き、種子島の郵便局からエントリーシートを送りました。結果は、面接で空回りしてしまって不合格。それが僕の就職活動でしたね。
宇宙という唯一の夢にも破れてしまい、人生の意味という、答えのない問いに立ち尽くしてしまうことになる、と…。
そこからは自分が悩むパターンをすべてパターン化してみました。どうすれば悩まない人生を歩めるのかを突き詰めたんです。
その結果、人間が苦しむのは、理想と現実のギャップがあるからで、かつ、選択肢が多すぎてそこに正解という名の「理由」を探すから悩むんだと気づきました。大学生が考えた理由なんて、たかが知れています。それが人生の確固たる基礎になるわけがない。そう割り切れたとき、むしろ「選択肢がない幸せ」というものがあるな、と感じたんです。
「何でもできる」自由によって、かえって「何も選べない」状態に陥ってしまったということですね。そこから、どうやってお酒の道を選び取ったのでしょうか?
悩んでいた僕の部屋に、たまたま酒瓶が転がっていたんです。それを見て「これで生きていこう」と決めました。人生を左右する決断なんて、それくらい適当でちょうどいいと思っています。
そもそも、生まれてきて死ぬことに意味なんてないじゃないですか。あの大谷翔平選手も100年後には100%忘れられていると思うんです。それなのに、ちっぽけな自分の人生にどんな意味があるかなんて考えること自体、スタンスとして間違っている。膨大な宇宙の時間軸でみれば、僕の命なんて一瞬で、ちっぽけな存在。僕がいようがいまいが、社会は平気で回っていく。
意味もない人生に、無理やり意味を見出そうとするから、苦しくなるんです。だから僕は、人生の大きな選択ほど、意味を見出さないようにしています。「なぜ男鹿なのか」「なぜお酒なのか」。そこで理屈を探そうとしてもしょうがない。
それが僕の哲学であり、生きるための処方箋です。「人生に意味なんてない」と腹を括ってからは、一ミリも悩まなくなりましたね。今はもう、悩みなんて全くありません。
「どうせ死ぬから、利他であれ」という生き方
人生に意味はない。そう悟ってから、一切の「悩み」が消えた、と。
「どうせ死ぬから、利他であれ」。それが、僕が大学時代に辿り着いた人生哲学です。
そもそも人生なんて、極論を言えば「死ぬまでの暇つぶし」でしかありません。でも、だからこそ大事なのは、その暇つぶしの時間をどう過ごすか、自分自身でどう選択するか。「どうせ死ぬ」からこそ、「どう生きるか」が問われるのが人生です。
別に、どう生きたっていいわけですよ。どうせ死ぬんだから。「明日死ぬかもしれないから努力なんて損だ」と考えるのも人生だし、ただ快楽だけに溺れるのも一つの選択です。
でも、僕は「命を燃やしたい」と思った。死ぬ間際に、「僕はここで精一杯頑張ったな」と思って死にたいんです。
どうせ死ぬなら、死ぬまで命を燃やしたい。その強い思いを持ち続けるのは、並大抵のことではないように感じます。
人間は本当に意志が弱くて、どれだけ頑張ろうと思っても頑張り続けることができない生き物です。理想に追いつけないのは当たり前。もちろん僕もその一人です。
でも、僕はどうしても頑張りたかった。だから、過去の自分を振り返ってみたんです。どういうときに頑張れたのか。それは「誰かと何かをやっているとき」でした。一人きりで頑張れたことなんて一度もなかったんです。
僕は「利他」という言葉を使っていますが、きれいごとだけではありません。「あいつが頑張っているから俺も」「こいつには負けたくない」。そうした対人関係があってはじめて、人は頑張れます。社会や人に対するコンプレックスも同じです。「負けたくない」という思いからエネルギーが生まれます。
自分のためよりも、誰かのためのほうが「頑張れる」ということですね。
自分のためよりも、誰かのための方が、「ほんのちょっとだけ」頑張れる。そして、その「ちょっとだけ」の積み重ねで、死ぬ瞬間に「ああ、俺は頑張ったな」と自分を肯定できるんだと思います。
「どうせ死ぬなら、利他であれ」。大学生の時にこの言葉に辿り着いてから、新政酒造にいた修行時代も、男鹿で挑戦を続けている今も、ずっとその感覚で生きています。
酒造りに対する確固たる自信と責任
2024年2月、稲とアガベの新商品として「交酒 花風(こうしゅ はなかぜ)」がリリースされました。「定番酒」として、一番の人気商品だと伺っています。ネーミングや、ラベルデザインがとてもすてきですよね。どのような想いを込められたのでしょうか?
「花風」という名前には、いくつかの意味を重ねています。まず、原料であるホップの和名「西洋唐花草」の「花」。唐花草を使用したどぶろくは「花酛(はなもと)」と呼ばれていて、秋田の農村でも伝承されてきました。地域の伝統を、現代に再解釈するという文脈ももたせています。
「風」は、僕たちの拠点である男鹿の「寒風山」で吹く風と、この商品を通じて業界に新しい風を吹かせたい、という思いを込めました。
また、「花風」は能の用語からも意味を拝借しました。「かふう」と読むと、能の世界では、人に見せるに足る、成熟した芸風のことを指します。男鹿で3年ほど試行錯誤を続けてきて、「ようやく胸を張って人様にお見せできるものができた」というメッセージを込めました。
そしてこのお酒を、清酒でも濁酒でもない、新しいジャンル「交酒(こうしゅ)」と呼ぶことにしました。日本酒と他の文化が交わり生まれたものがクラフトサケである、というイメージです。
すべてのプロダクトにストーリーが込められていて、とても心動かされるものがあります。これらすべてを、岡住さんお一人でコントロールされているのでしょうか?
すべての製造責任は僕にあります。商品のコンセプト立案はもちろん、ラベルデザインのディレクション、裏ラベルの文言作成、そして出荷時期の決定まで、すべて僕が一人で判断しています。
これが理想の組織の形だとは思っていません。ですが、新しい商品を出すたびに全員で合意形成をしていたら、このスピード感は維持できない。何より、クラフトサケはまだ技術的に確立されていない分野です。僕が誰かに任せたとして、タンク一本をダメにすれば、一瞬で数百万円の売上が飛んでしまいます。失敗した本人も深く傷ついてしまうでしょう。その重圧を仲間に負わせるわけにはいかないんです。
だから、プロダクトに関してはまだまだ属人的でいいと思っていますし、僕がすべての責任を背負うべきだと思っています。
僕は、コンセプトやストーリーに対して、人一倍うるさい人間なんですよね。自分自身のすべての行動に対して「なぜそれをやるのか」という意味がないと動けない。だからこそ、プロダクトへ意味を込める作業だけは、誰にも譲れません。稲とアガベのプロダクトには、一般的なお酒の100倍近いストーリーが凝縮されていると自負しています。
背景にあるストーリーや岡住さんの想いが、稲とアガベのお酒がもつ唯一無二の味として表現されているのですね。
僕自身、同世代の誰よりも酒を飲み、誰よりも勉強してきたと思っています。だから、自分でやる。もし僕以上の「酒オタク」がここに現れて「造りたい」と言うなら、いつでもバトンを渡すつもりです。でも、そんな人はなかなかいない。だから僕がやっているんです。
僕はマルチにいろいろなことを動かすのが得意なタイプでもあるので、今のこの形が取れているんだと思います。
本当に、凄まじい勉強量と熱量ですよね。
勉強だとは思っていません。「これで生きていく」と決めたことなので、ただやっているだけなんです。
正直、競馬でもパチスロでもよかったかもしれません。ただ、「これでいく」と決めた瞬間に、そのマインドセットで臨む。その覚悟さえあれば、僕はどの業界にいても今と同じような状態になっていたはずです。たまたま酒造りが自分に向いていたというだけのことで。
最初は失敗するかもしれません。でも、うまくいくまでやり続ければ、失敗ではなくなります。その感覚は、お酒に対しても、まちづくりに対しても、僕が手掛けるすべての事業に共通していますね。
キリスト教のような伝道師をつくりたい
岡住さんは、酒造りとまちづくりを通して、男鹿のまちをお酒の聖地にするために奔走されています。文化ができるまでにどのくらいの時間がかかるとお考えでしょうか?
文化は、意外と早くつくられるものだと思っています。例えば、先ほどお話しした新潟の「カーブドッチ」は30年で「新潟ワインコースト」を築き上げましたし、北海道・余市町のウイスキーも、ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝が一代で聖地をつくりあげました。
だから生きている間に文化は形成できると考えています。僕は人の3倍速で生きているつもりなので、10年もあれば、男鹿は間違いなく「聖地」になっているはずです。
特定のジャンルに閉じない、多様な造り手が集まるまちにしたい。クラフトサケは日本酒をベースにしながらも、ワインやビール、蒸留酒など、あらゆるお酒の文化を取り入れ、媒介する存在です。男鹿にワイナリーやビール醸造所、蒸留所があってもいい。それらが相互に刺激し合いながら発展していくような未来を描いています。
男鹿が「聖地」として醸成されていくために、具体的にどのような手法を考えていますか?
最近、あるマーケターの方から「目指すべき状態から逆算して、次の一手を打つべき」というアドバイスをいただき、進むべき道が明確になりました。
稲とアガベは、ブランドとして認知され、人も集まっている。けれど、お酒を通して僕たちの本質的な意図が伝わり、自然に波及していく構図にはまだなっていない。そこをどう構築していくかが今の課題です。
その構図とは、どのようなものでしょうか?
キリスト教を例に考えてみると、キリスト教が爆発的に広まったのは、聖書(経典)があり、聖地があり、各地に教会があり、そして何よりそれを伝える伝道師たちがいたからなんですよね。
これを僕たちに置き換えると、聖書は「お酒」、聖地は「男鹿」。そして「教会」にあたるのが、酒販店や飲食店など、全国各地でお酒と出会える場所。さらに、僕がいなくてもその熱量を広めてくれる伝道師をどう増やすか。そのためには、今すでに僕たちを熱狂的に支えてくれているコアなファンのインサイト(本音)を言語化し、再現していくことが必要だと考えています。それがマーケティングの本質であり仕組みなのだと気づかされました。
てくれているコアなファンのインサイト(本音)を言語化し、再現していくことが必要だと考えています。それがマーケティングの本質であり仕組みなのだと気づかされました。
ファンが「伝道師」に変わるための仕掛けが必要だ、ということですね。
はい、そうです。さらに、僕たちの活動の先にある「夢」を具体化することも大切です。桃太郎が仲間を集められたのは、猿や雉がきびだんごを欲しがったからではなく、困っている村人を助けるという、命を懸けるに値する大義があったからこそだと思うんですよね。
僕たちの事業においても、「誰を笑顔にしたいのか」をどこまで突き詰められるか。その救いたい対象が広いほど、結果としての売上は後からついてくる。目の前の商品開発も大切ですが、今は伝道師が自然と生まれる仕組みをつくっていきたいと考えています。
文字や画像だけでは伝えきれない想いを、同じ熱量を保ったまま届けていくのは難しそうです。
今日では、文字情報をじっくり読み込んで咀嚼するような人はどんどん減っています。僕たちの背景をちゃんと伝えるのは本当に難しい。ただ、僕が丸一日かけて一緒に過ごし、本質的な価値やおもしろさを伝えた人は、間違いなく熱狂的な伝道師になってくれるんです。
最近思いついたことなのですが、「交通費は全部出すから男鹿へ来てください」と伝えようと思っています。「来なかったらもう取引しない」と言い切るくらいの覚悟で。
僕が各地へ足を運ぶより、実際に男鹿を見てもらう方が説得力が桁違いに大きい。5年経ち、これだけの拠点が動き出している男鹿を見れば、誰もが納得して伝道師になってくれるはずです。
男鹿の人たちがお金ではない幸せを手にする未来
男鹿を聖地にするという壮大な挑戦の先に、岡住さんは何を残したいと考えているのでしょうか。そのなかで、岡住さんはどのような役割を担っているのでしょうか?
僕は自分自身のことを、広い歴史の中の「一つのピース」にすぎないと考えています。本来、僕は表に出るのが得意なタイプではありません。この会社を動かし、地域を未来に残すために「今はこういう役割を演じるべきだ」と考えて動いているだけ。
酒造りには、脈々と受け継がれてきた系譜があります。それを預かり、次の世代へどう渡すのか。僕が目立ったり、お金持ちになったりすることには興味がありません。極論、日本酒の未来がつながるのであれば、稲とアガベという会社がなくなっても構わない。それくらいの長い時間軸で、自分の役割を捉えています。
「地域が残る」とは、具体的にどのような状態を指すと考えていますか?
よく言われる「人口を増やす」という指標には興味がないんです。人口減少が加速するなかでそこをKPIに置くのは自治体同士の奪い合いに過ぎず、本質的ではありません。
では、何を目指すのか。それは、このまちにいる人たちが「お金ではない幸せ」を手にしている状態です。僕たちなりの幸福度の基準でみたときに、このまちの人たちの幸福度が異様に高いとか。そんな状態を目指しています。
お酒の力を借りて、ここに来るのが楽しい、ここに住むのが楽しいという状況をひたすらつくりだしていく。その結果として、もし若者が増えるようなことがあれば、それは素晴らしい結果です。でも、最初からそれをゴールにはしません。
お酒を飲むと、誰もが幸せな気持ちになりますよね。今の世の中、どんどん人間らしくなくなっている気がします。お酒と、この男鹿という場所を通じて、もっと人間らしく、もっと心豊かに笑い合える。そんな聖地を、時間をかけて醸していきたいと思っています。
革命は辺境からしか生まれない
秋田は、人口減少率が全国1位のペースで進んでいる、いわば課題先進地域ですよね。非常に厳しい状況だと言わざるを得ません。
かつての秋田は、他の東北各県と比べても米がよく取れ、鉱山資源にも恵まれた地域でした。豊かな資源が地域を支えてきた時代があったからこそ、その前提が変わったときに、地域のあり方そのものを問い直す必要が出てきているのだと思います。ですが、僕はこの状況にこそ希望があると思うんです。
一番厳しい場所だからこそ、強い反発の力が働く。革命は辺境からしか生まれない。もっというと、ローカルからしか生まれないと信じています。
辺境の地にいる僕だから、説得力をもって言えると思うんです。最悪な状況から、新たな時代の「豊かさの定義」を書き換えていきたい。
ローカルだからこそ、革命を起こすことができる、と。
経済的な成功を指すのではなく、構造的に行き詰まっている日本のシステムそのものを変える革命です。もしかしたら将来、国政に関わるような形で構造破壊に挑むこともあるかもしれません。それくらい本気で世の中を変えていきたい。
志を共にするプレイヤーたちとともに、「辺境同盟」というコミュニティも生まれました。山形・鶴岡市が本社のSHONAI代表の山中大介さんや、岩手・盛岡市が本社のヘラルボニー代表の松田兄弟も参加してくれています。そして、資本主義の最前線で戦ってきたような猛者たちをもうまく巻き込みながら、この辺境から大きなうねりをつくっていこうとしています。
東京では決して生まれない、ローカルだからこそ生み出せる「新しい時代の価値観」を、仲間たちと一緒に、僕はこれからも辺境の地から革命を仕掛けていきたいと思っています。
一本の酒瓶からはじまった岡住さんの挑戦が、男鹿のまちを変え、日本酒文化の未来を切り拓いていく。その情熱が、これからどのような景色を醸していくのか楽しみです。本日はありがとうございました。
一本の酒瓶に人生を賭け、「どうせ死ぬから、利他であれ」と歩んできた岡住氏。その生き方は、クラフトサケという新たなジャンルの確立や、農家への還元、男鹿のまちづくりにもつながっています。A面では、日本酒文化を未来へつなぐため、法律や資本の仕組みにまで挑みながら、男鹿を「お酒の聖地」にしようとする稲とアガベの事業戦略に迫ります。
北川 共史 TOMOFUMI KITAGAWA
編集後記
岡住さんを突き動かしているのは、華々しいビジョンではなく、「どうせ死ぬなら、利他であれ」という一行です。人生の意味を問い続けた青春時代の果てに自力で掴んだこの言葉が、農家から米を見積りの倍で買い取り、日本酒の法律に正面からぶつかり、男鹿の街を塗り替えていく原動力にもなっている。
取材中、何度も「岡住さんは本気だ」と感じる瞬間がありました。資本主義の引力を意識的に遠ざけ、銀行融資だけで6.5億円を動かし、それでも「文化をつくるには時間軸が違う」と言い切る。損得ではなく、使命感で走っている人間の顔でした。
「コンテンツが30年続けば文化になる」。その言葉通り、岡住さんはすでに業界を超えて男鹿という地域に不可逆な変化を起こしています。辺境からしか革命は生まれない、と。その確信が本物であることを私は理解しましたし、取材後はすっかり稲とアガベのファンになっていました。
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