「自分の利益を脇に置き、ただ愛を持って接する。そんな彼らが、誰にはばかることなく挑戦できる土壌を耕したい。」 真っ直ぐな瞳でそう語るのは、株式会社ヘラルボニーの松田文登氏。
本記事では重度の知的障害を伴う自閉症がある兄との日常や、社会の理不尽に対する「怒り」など、ヘラルボニーの事業を生み出すに至った松田氏の原体験や、幼少期の心の機微、そして30年後に思い描く未来図に迫り、彼の人となりを深く掘り下げる。
1984年札幌市生まれ。2007年オプト入社、ソウルドアウト創業に参画。営業責任者として中小・ベンチャー支援の拡大を牽引。事業成長ならびに上場に貢献した後、CRO、マーケティングカンパニープレジデントを経て、2024年より専務取締役COO。現在は「ローカル&AIファースト」構想を掲げ、全国拠点展開とデジタル活用を通じた地域企業の事業成長支援を推進。2026年4月、代表取締役社長CEOに就任。あわせて、博報堂DYホールディングス執行役員に就任。
目次
双子という特別な関係と、福祉が「日常」だった幼少期の原体験
幼少期、松田家はどのようなご家庭だったのでしょうか。
父は単身赴任で家にいないことが多く、母が男三兄弟を育てあげてくれたような家庭でした。重度の知的障害を伴う自閉症がある兄がいたこともあり、母は3つか4つの福祉団体に積極的に加盟していました。
週末になると、団体に所属する障害のあるお子さんがいらっしゃるご家族と一緒に、安比高原へスキーをしに行ったりキャンプに出かけたりするのが恒例でした。ボランティアの方々も大勢いる中で遊ぶのが大好きで、小学校3年生で野球を始めるまでは毎週末そこへ行くのが私にとっての「当たり前の日常」だったのです。
双子の崇弥さんとは、幼い頃から比べられたり、対立したりすることはなかったのでしょうか。
家族から「お兄ちゃんなんだから」などと比べられることは一度もありませんでした。
完全にフラットに育てられたからか、お互いにライバル視して争うようなこともなかったですね。例えば、同じ女の子を好きになったら、どちらかがサッと身を引くような暗黙のルールがあり、いちいち言葉に出さなくても分かり合えていたように思います。
能力や好きな音楽の趣味なども非常に似ているのですが、経営においては彼がビジョナリーで「もっと前へ」と推し進めて、私が現場や社会の根っこの部分を固めるというように、非常に奇跡的なバランスが取れていると感じています。
大きな転機や、ご家族の間で認識のギャップを感じた出来事はありましたか。
起業して間もない頃、いつもは感情を見せない父が突然ボロボロと泣き出し、「お前らは兄の十字架を背負わなくていいんだ」と言われたことがありました。父にとっては「大変な兄のために、息子たちが無理をして事業をやっている」と見えたのかもしれません。
でも、私たち兄弟からすれば全くの拍子抜けでした。私たちは「十字架を背負って」いるわけではなく、ただ純粋に自分たちがワクワクするから、世の中の価値観を変えたいからやっているだけだったのです。親の視点と私たちの視点のギャップに、当時の私は少し驚いていました。
原点となった美術館での衝撃と、ビジネスの道への一歩
起業を志す直接的なきっかけとなった出来事について教えてください。
大学を卒業してゼネコンで働いていた24歳の時、母に勧められて花巻にある福祉施設のアート展示を見に行ったことが大きな転機となりました。そこで目にしたアートの力強さや色彩の美しさに、まさに頭を撃ち抜かれるような衝撃を受けました。
しかし同時に非常に悔しい思いをしました。インターネットで「障害者アート」と検索してみると、市場には「支援や貢献の文脈で可哀想だから買う」という構造のプロダクトばかりが溢れていたのです。
幼い頃に兄が「可哀想な存在」として扱われていた記憶と重なり、アートの力で社会のイメージを根底から変えられるのではないか、ここなら自分がフルベットできるのではないかと直感しました。
なぜ既存の福祉施設やNPOに就職するのではなく、「起業」というアプローチを選んだのでしょうか。
最初は社会福祉協議会などに就職することも考えたのですが、さまざまな施設を見学させていただく中で、「なんだか自分たちがやりたいこととは違うかもしれない、面白くないかもしれない」と生意気ながらに思ってしまったのです。
福祉の世界を支援の枠組みの中だけで閉じてしまうのではなく、純粋にカッコいいもの、心から欲しいと思えるものを社会に発信していくためには、自分たちでゼロからビジネスを立ち上げるしかないと決意しました。その時、双子の崇弥とも感覚がピタリと一致し、「これを二人でやりきろう」と誓い合ったのです。
周囲からはどのような反応がありましたか。
全く実績のない若者が「福祉のアートでビジネスをやる」と言い出したわけですから、当然ながら冷ややかな目で見られることも多かったです。「そんなのビジネスにならない」とか、「福祉を利用してお金儲けをする気か」といった批判的な声を直接浴びることもありました。
しかし、私たちは「同情で買ってもらうのではなく、純粋なクオリティで勝負する」というスタンスを崩しませんでした。マイノリティであるからこそ生み出せる爆発的なエネルギーや強さがあると信じていたので、周囲の反応に流されることなく、自分たちの信じる道をただひたすらに突き進みました。
マイノリティを隠した過去の罪悪感と、社会を変える「豊かな怒り」
社会の常識を変えていくほどの膨大なエネルギーは、どこから湧いてくるのでしょうか。
「怒り」が大事な原動力だなと思う場面は少なくありません。
中学生の頃、兄が同級生の不良グループから馬鹿にされた時があったのですが、その時に私は、思わず兄の存在を隠してしまいました。あろうことか、私自身もそのグループに入り荒れた時期を過ごしてしまったのです。
でもあの時、私を苦しめていたのは彼らではなく、「障害」を遠ざけようとする社会そのものの空気や、兄を隠してしまった自分自身を正当化した裏にあった「罪悪感」でした。
そのどうしようもない怒りや悔しさを、ずっと自分の中に抱え込んできたのです。
その「怒り」は、現在のご自身にどのような影響を与えているのでしょうか。
今、私はその怒りを会社やビジネスという形に変えて、社会にぶつけています。SNSでただバズらせて一時的な批判を叫ぶような浅い怒りではなく、深い底から湧き上がるような「豊かな怒り」です。この怒りこそが本物であり、自分を前へと突き動かす最大の原動力だと思っています。
生きていく中で誰もが、社会に対して違和感や怒りを感じることがあるはずです。それをただの愚痴や非難で終わらせるのではなく、ポジティブなアクションへと変換していくことができれば、必ず世の中はより良い方向へと変わっていくと信じています。
そんな松田さんを支えてきた価値観や、座右の銘のようなものはありますか。
「正義の反対は正義である」という言葉を大切にしています。私がどれだけ怒りを持って社会を変えようとしても、過去の福祉業界を築き上げてきた先人たちには、彼らなりの絶対的な「正義」があったのです。
私たちがビジネスを持ち込むことで最初はアレルギー反応を示した方々とも、お酒を飲み交わし、対話を重ねていくうちに、お互いの正義を尊重し合えるようになりました。他者の正義を受け入れ、しなやかに融合していくことの重要性を、この手探りの経営の中で深く学びました。
根っこを繋ぐ組織論。社員が辞めないヘラルボニーの仕組み
非常に離職率が低いとのことですが、その理由はどこにあると考えていますか。
現在100名ほどの規模の会社ですが、これまでに辞めたのは本当に片手で数えるほどしかいません。それはやはり、組織の「根っこ」の部分がしっかりと繋がっているからだと思います。
私たち双子の原体験や、成し遂げたいビジョンに対して、全社員が深く共鳴してくれています。私はよく社員に対して「本当に心と心の触れ合う瞬間を作らなければならない」と伝えています。ただ効率的にタスクをこなすだけでなく、なぜ私たちがここにあるのか、誰のために事業を行っているのかという「存在意義」を、常に全社で共有し続けていることが、離職率の低さに繋がっているのだと思います。
その「根っこの共有」は、具体的にどのような仕組みで行っているのでしょうか。
週に一度の全体会議で、あえて哲学的な問いや難題をテーマに挙げ、Zoomのブレイクアウトルームに少人数で分かれて、互いの価値観を深く対話する時間を設けています。
こうした仕組みを通じて、単なるトップダウンの指示ではなく、社員自身が考え、自分事として会社のビジョンを咀嚼するプロセスを大切にしています。
社員の方々にも、その「岩手の空気」を体験させるような取り組みをされていると伺いました。
入社したメンバーには必ず岩手へのアテンドツアーを実施しています。
私自身がハイエースを運転し、ヘラルボニーの原点である福祉施設やゆかりの場所を一日かけて案内して回るのです。なぜ私たちがこの事業を始めたのか、現場で何が起きているのかを、社員全員に肌で感じてもらうことが目的です。
また、組織が大きくなった現在でも、社員一人ひとりに必ず「福祉施設の担当」を持ってもらう仕組みを作っています。自分の業務が作家さんやそのご家族にどう喜ばれているのか、ダイレクトに実感できる設計にすることで、単なるビジネスパーソンではなく「社会を共に変えていく仲間」としての、強固なつながりと帰属意識を育むことができているのだと思います。
仲間という最大の報酬と、30年後に思い描くローカルな未来
事業を続ける中で、松田さんにとっての最大の喜びや「起業の報酬」とは何ですか。
年末に、人生で出会った大切な人たちを書き出す「感謝リスト」を作るのが毎年の恒例となっているのですが、そこに名前を連ねている人のなんと7割が、起業した26歳以降に出会った方々でした。起業しなければ絶対に出会えなかったような素晴らしい方々が、単なる利害関係を超えて協力してくれます。
例えば、出張先にくたびれた酒場や居酒屋で、企業の看板や立場を捨てて、夜な夜な肩を組んで笑い合い、日本の未来について熱く語り合う。そういう一生付き合える最高の「仲間」を得られたことこそが、私にとっての起業における究極の報酬だと考えています。
地方で事業を展開することで、その「強固なつながり」はより強まると感じますか。
間違いなく強まっています。例えば岩手というローカルに拠点を置いているからこそ、東京でお会いした方々が、「今度岩手に行く用事があるから」とわざわざ連絡をくれて、朝の新鮮な空気を吸いながら一日中一緒に時間を過ごすことができます。
東京にいたら1時間の会議をして終わる関係が、同じ釜の飯を食い、夜遅くまで語り明かすことで、とてつもなく深い信頼関係へと昇華していくのです。
私たちが地域に一つの「磁石」を立てたことで、強力な熱量を持った人々がそこに引き寄せられてくる。その奇跡を、日々目の当たりにしています。
最後に、30年後、松田さんはどこで誰と笑っていたいと思い描いていますか。
もちろん、大好きなこの岩手の地にいたいです。妻もいて、子どもたちもいて、そして兄も当然のように変わらずそこにいるはずです。その上で、私の周りには、ここまで一緒に走り切ってくれた仲間たちがいてほしい。地域のどこかにある安い大衆酒場で、昔話をしながらみんなで酒を飲み、ただただ笑っている。そんな光景を思い描いています。
人生を宇宙的な視点で見れば一瞬かもしれませんが、誰と共に時間を過ごし、どれだけ豊かなつながりを築けたか。それこそが、私たちがこの世界に生きた最大の意義になるのだと思っています。
本日はありがとうございました。
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