「守るために攻める、ということだと思っています」
そう語るのは、有限会社いろは堂代表取締役の伊藤拓宗氏。
1925年(大正14年)に長野県小川村で和菓子屋として創業し、現在は長野市南郊の鬼無里を本店に構える有限会社いろは堂は、信州の郷土食「おやき」の製造・販売を専門としている。1973年(昭和48年)からおやきの製造を本格化し、2025年に創業100周年を迎えた老舗だ。
おやきはもともと、寒冷な山間部でお米が育ちにくい長野の家庭料理として根付いてきた食文化。商品化した当初は、地元の人々に「誰がおやきを買うんだ」と言われたという。現在もスーパーやコンビニで日常食として売られる一方で、いろは堂のおやきは独自の製法とブランドで一線を画す。 その差異を生んだのは、代々の経営者が貫いてきた意思決定と「地域との共生」という哲学だった。
本記事では、フラッグシップ施設「OYAKI FARM」の誕生背景や、地域との共生が経営において合理的な理由、そして次の100年を見据えた経営軸について迫った。
1984年札幌市生まれ。2007年オプト入社、ソウルドアウト創業に参画。営業責任者として中小・ベンチャー支援の拡大を牽引。事業成長ならびに上場に貢献した後、CRO、マーケティングカンパニープレジデントを経て、2024年より専務取締役COO。現在は「ローカル&AIファースト」構想を掲げ、全国拠点展開とデジタル活用を通じた地域企業の事業成長支援を推進。2026年4月、代表取締役社長CEOに就任。あわせて、博報堂DYホールディングス執行役員に就任。
目次
家庭料理から専門店へ おやきの商品化と長野の食文化
創業から現在に至るまでの歴史と、おやきに特化していった経緯を教えてください。
いろは堂は1925年(大正14年)に、長野県の山間にある小川村で和菓子屋として創業しました。 その後、現在の本店がある長野市南郊の鬼無里に移転し、パンやお菓子の製造、そして学校給食のパン製造をメイン事業として展開してきました。 おやきの製造を本格的に始めたのは1973年(昭和48年)のことです。
創業当時、学校給食のパン製造は安定した事業でしたが、次第に田舎にも大手が参入し、薄利多売の競争が激しくなっていきました。そういった状況の中で「何か違う道を」という機運が生まれ、祖父と祖母の代に試作したおやきがたいへん好評だったことをきっかけに、おやき製造を本格的に始めたと聞いています。
いろは堂の製法には、パンを作っていたルーツが大きく影響しています。 一般的なおやきの製法とは異なり、オリジナリティがある。この技術は模倣が難しく、大切にしている強みの一つです。
商品として広く知られるようになったきっかけを教えてください。
最初は、長野県が主導する全国の百貨店での物産展への出展でした。 山の中でお店をやっているだけでは来客も限られますし、おやきのことを説明しながら販売できる場に出させていただいたことで、むしろ外から火がついた部分が大きかったと聞いています。
長野県内の方はもちろんご存じですが、特に西日本ではまだおやきの認知度が低い感触があります。「おやきってどんな食べ物?」という方も少なくない。一方でそれは、まだまだマーケットポテンシャルを秘めているということでもあります。
ただし、だからといって県外への直営店展開を積極的に進めているかというと、そうではありません。直営店をあえて県内のみに限定することが、私たちのスタイルであり、一つのブランドでもあると考えています。
OYAKI FARMが変えた地元からの眼差しと自己評価
OYAKI FARMは単なる施設の新設ではなく、いろは堂ブランドの再定義の場として機能していると感じます。この体験型施設を作ろうと決断した背景を教えてください。
おやきにさらなるポテンシャルがある感覚は、ずっと持っていました。 ただ、なかなかうまく伝わっていないとも感じていた。そういった状況の中で新たな投資先を検討する段階になり、これまでの延長線上ではなく、違う切り口でおやきを発信しようという発想から、結果的にこの形になりました。
こだわったのは、「ただの観光施設にはしたくない」ということ。 どれだけ地域の方に愛されるか、県外から来た方が「あそこに行ったほうがいいよ」と言ってくれる存在になれるかを、現在も大切にしています。
地元に愛されることが土台としていかに重要かは、コロナ禍で実感したことでもあります。長野に帰れない子供に故郷の味を送るために購入してくださる方など、地域の方の支えがいかに大きいかを改めて感じました。
建築については、長野県産の木材を全面的に使い、できるだけ土に還る素材を選ぶ方針を設計士の方が提案してくださいました。土着の食文化を商売にしているからこそ、地産地消の考え方や循環というメッセージを建物に込めたかったのです。
設計士の思いと私たちのビジョン、そして施工を担当した工務店の方向性がしっかり一致したことが、この建物の実現につながりました。施工してくださったのは寺社仏閣の工事も手掛け、宮大工を擁する工務店です。さらに、近代的な外観の中に伝統工法が随所に使われているこの建物は、伝統の技術を別の形で残す意味でも、私たちの事業哲学と通じるものがあります。
施設がオープンしてから、地域の方の反応にどのような変化を感じていますか。
特に感じているのは、地元の方の眼差しが変わってきたことです。 「おやきってこんなに力があるんだね」と再認識してもらえるようになってきた手応えがあります。どこでも同じかもしれませんが、自分たちの地元のものを卑下してしまう傾向がある。それが少し変わってきた感触があります。
また、体験スペースでおやきを作る体験が、観光客だけでなく地元の子供たちにも喜ばれているのは嬉しい発見でした。今の子供たちの多くは、おやきを家で作ったことがないんです。 体験を通じて自分の地域の食文化を知り、将来的に県外や海外へ出ていったときに話せるようになってほしい。そういった思いもあって、社会見学の受け入れも積極的に行っています。
体験終了後に子供たちからもらう寄せ書きが、働くスタッフにとって何よりのモチベーションになっているのも、やってみて気づいた副次効果の一つですね。
施設への投資は、資金調達の面でも大きな決断だったかと思います。金融機関との交渉はどのようなものでしたか。
正直に言うと、「いまだによく貸してくれたな」と思っています。 複数の金融機関に声をかけましたが、判断はそれぞれでした。今となっては、単にそういうタイミングだったとも思っています。
手を貸してくれた金融機関に報いることは、私の大きなモチベーションの一つです。おやきのポテンシャルと、私たちのビジョン、そして先代が積み上げてきた信用力に懸けてもらった。それに応えなければという思いで、今も経営を続けています。
地域との共生が最も合理的な経営判断である理由
年間30万人が来訪し、冬季だけで外国人のツアー客が2万人訪れるようになりました。
地域全体を巻き込んだ経済圏の創出にもつながっていると思いますが、地域との共生を、経営にどう位置づけているかお聞かせください。
私たちにとって地方で経営を続けるためには、地域との共生こそが最も合理的な選択です。 私たちの財産や武器は、地域とそこに根付いてきた歴史・文化がバックボーンにあるからこそ成立しています。地域に恩返しをしながら関わり貢献していくことは、地方でこれからも生き残っていく上での必要条件だと考えています。
「かっこいいことをしたい」という気持ちも、もちろんあります。ですが率直に言えば、地域と密接に連携しなければ生き残れない実感の方が大きい。 また、地方で「自分たちだけが大成功すればいい」という発想には、どこか無理があると感じています。手を取り合い共生していく感覚は、私だけでなく先代から受け継いできたものでもあります。
地域共生という考え方は、具体的にどのような形で事業や意思決定に反映されていますか。
子ども食堂への寄付や地元の野菜を積極的に使う取り組みは始めていますが、まだその程度です。 社会性と経済性の両立という観点で、できることはまだまだある。ただ、大事にしているのは地域の人たちから応援されている状態を作り、それが事業の土台になっていることです。
経営理念については、3年前にパーパス・ミッション・ビジョンとして明文化しました。 新しく作ったというよりは、先代から大切にされてきたものを整理して言語化する作業でした。経営方針としては「オンリーワンの価値を創造していく」「おやき文化を根付かせながら広め、地域に貢献する」「社会性と経済性を両立する」の3つを掲げています。
「年輪経営」という言葉が示すように、外に派手に打ち出してブームを作り一瞬で消えるのではなく、地を固めながら少しずつ外に広げていきたい。そのバランスが、100年企業として次の世代に繋いでいくための核心だと思っています。
おやき業界全体の課題と一社では解けない構造的な問い
いろは堂だけでなく、おやき業界全体の現状についてどのような危機感を持っていますか。
おやきを産業・文化として守り続けなければならない使命感が強くあります。 業界には小規模事業者が多いのですが、後継者の不在や高齢化によって、このままでは多くのお店が近い将来なくなってしまうだろうと危惧しています。もちろん、私たちにとっても他人事ではありません。
そういった危機感の中で、以前から「おやき協議会」という業界団体がありましたが、長い間ほとんど機能していない状態でした。ここ1〜2年で動かし始め、横のつながりや情報共有を通じて、文化・産業としてのおやきをどうやって守るか、市場をどう広げるか一緒に考えようとする動きが出てきています。
今はライバルとか言っている場合ではないという感覚を、業界で少しずつ共有できるようになってきました。
価格問題についても業界の構造的な課題があると伺いました。
あらゆるものが値上がりしているにもかかわらず、おやきは長年にわたって、100〜150円台というイメージが地元の方に根付いています。 10年先を見れば明らかに持続可能ではないはずなのに、目の前の客離れを恐れて値上げに踏み切れない事業者が多い現状さえあります。
プライシングをコントロールできなければ、長期的には経営が成り立たなくなる。ただ、実際に120円〜130円と比べれば高い事実もありますので、その距離感が生まれすぎてしまうのも良くないと思っています。
海外展開についての現在の考え方はいかがでしょうか。
2024年に長野県産品のPRレセプションが米国で開催され、私自身は参加できませんでしたが、報告を聞く限りおやきへの反応はとても良いものでした。意外なところでは、ビールやワインと合わせられるという発見があり、アレンジの可能性を感じたという話も聞いています。
ただ、まだ日本国内でも西日本の方がおやきを知らない現状があります。海外展開については、0のマーケットに1を作り出していく大変さと面白さは理解しながら、種まきの期間として長めに見て着実にやっていく考えです。
「長野ブランド」「いろは堂ブランド」「おやきブランド」、この3つが世界で戦える水準になるタイミングがいつかある。逆に、海外から先に火がつくという可能性もゼロではないと思っています。両方を並行してやっていかなければならないと考えています。
仕組み化と対話で進めた組織変革と人材育成の現在地
帰郷後の3年間で社内の全部の仕事をやり尽くしたとのことでしたが、仕組み化において取り組んできたことを教えてください。
帰ってきた当初は業務の多くが感覚や属人的なノウハウに依存していました。後継者が家業に帰ってきて「これはまずい」と気づくというよくあるパターンに近いものでしたが、製造部門にはあまり手を入れず、まず営業・販売部門から着手し、明文化、数値化、仕組み化を少しずつ進めていきました。
いろは堂のおやきは、創業当時から製法も味も変えていません。品質を守るという精神性と、職人たちが積み上げてきたノウハウがあるので、製造部門については手を入れすぎない姿勢を意識しています。
一方で生産性についてはイノベーションが必要だと感じており、品質を第一にしながらも効率化の余地を探っています。若い世代が社内に入ってきてくれたことも追い風になりました。仕組み化や合理化に前向きな雰囲気が社内に生まれてきた。それによって私自身の意見が出しやすい環境が整ってきたと感じています。
現在の組織体制と、今後の主な課題について教えてください。
現在は会長である父と私の他に、父の右腕として長年支えてきた60代の総括本部長がいます。 製造や営業の責任者はほぼ私と同世代で、課長層も40代が中心です。パートアルバイトまで含めると約130名、正社員は約50名、外国人技能実習生が約10名という規模です。
課題として最も強く感じているのは、マネジメント人材の育成です。OYAKI FARMの開設を経て会社の規模が一気に拡大しました。それまで50人規模だった会社が急に今の規模になった結果、これまでプレイングマネージャーだった方々が、本当の意味でのマネジメントを求められる場面が増えました。ところがマネジメントのノウハウが社内に蓄積されていなかった。中の手当てをしていかないと組織の土台が固まらないと感じています。
採用については、BtoC事業で地元でのブランド認知があるため現状ではそれほど困っていませんが、採用した人材をどう育てるかが今後の大きなテーマです。
社内へのコミュニケーションや、自分の考えを組織に浸透させるための取り組みはどのようにされていますか。
まず意識したのは、会議・ミーティングの数を増やすことです。もともと自分から積極的に喋るタイプではないので、喋る場をたくさん作らないとすれ違いが生じる。特に総括本部長とのさし向かいの対話は意識的に増やしてきました。
社長就任前後には正直ぶつかることもありましたが、先方の経験と積み上げてきたものの価値を理解し、敬意を持って対話できるようになってきたことで、今はとてもやりやすい関係になっています。
対外的な発信はあまり得意ではないし、目立ちたいという気持ちも正直多くはありません。ただ、優秀な人材を採用していく上で経営者の言葉や考えが見えることは大切だと感じており、社内向けの情報発信の仕組みも整えていこうとしているところです。
次の100年に向けて地域と人をつなぎ続ける存在でありたい
2025年に創業100周年を迎えられました。次の100年に向けて、いろは堂がどのような存在であり続けたいかを聞かせてください。
壮大なことを言うつもりはないのですが、おやき屋であることは変わらない。その上で、この長野という地域を大切にしながら、人と地域をつなぎ、地域の経済に貢献できる形を作っていく。 それが私が引退するまでにやり遂げたいことです。
「守るために攻める」という言葉は、矛盾しているように見えて、実は一体のものだと思っています。根を固めなければ外に出ていけないし、外に出ていかなければ守るための力が生まれない。OYAKI FARMへの投資も、この発想の延長線上にあります。これだけの投資をしてしまった以上、もう止まれないという現実もありますが、それが良い意味で攻め続ける原動力にもなっています。
最後に、「ローカルは合理的か」という問いに対して、伊藤社長の答えを聞かせてください。
少なくとも私たちのようなビジネスには、ローカルであることは非常に合理的で、むしろ武器になると確信しています。地域に根を張ることで生まれる信頼、文化の蓄積、人のつながりは短期間で作れません。 ローカルから直接海外へという動きも今の時代なら十分に実現できるし、それも逆に強みになってくるという感覚を持っています。
時代が追い風になってきているというのも実感しています。均一化が進む世界の中で、リアルなもの・ローカルなものへの価値が見直されていく。そういう流れの中で、地域に根付いた状態でグローバルにも戦えるいろは堂を作っていきたい。私が引退するまでに、それを形として残せたら十分です。
地域とともに歩むこれからの挑戦を、引き続き応援しています。本日はありがとうございました。
北川 共史 TOMOFUMI KITAGAWA
編集後記
根を固めなければ外へ出られず、外へ出なければ守る力も生まれない。
そんな逆説のなかで、地方で生きる合理性と「世界」を見据えた静かな野心が、同じ文脈で語る姿に惹かれました。
「守るために攻める」という言葉に象徴されるように、OYAKI FARMへの投資や地元の眼差しの変化は、根を固めながら外へ広げる姿勢の表れであると感じました。地域との共生を「最も合理的」と断じる一方で、年間30万人の来訪や冬季の外国人ツアー、そして「長野ブランド」「いろは堂ブランド」「おやきブランド」が世界で戦える水準を見据える発想は、ローカルな熱量とグローバルな視野の両立を示しています。
おやき業界全体の後継者問題へ向き合う姿勢にも、一社の成功にとどまらない責任感が滲みます。次の100年に向けて、長野の食文化をどう産業として保ち続けるか。その問いは、地域発のビジネスに共通する課題のようにも見え、取材を終えてなお考え続けたくなる対話でした。
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