「今まで積み上げてきた歴史や信頼があるから自分が何かできているわけで、それを全部取ったら、本当にちっぽけな人間になってしまうかもしれない」 長野市の郊外、プライベートでも足繁に通う飲食店「Hanten」で、いろは堂4代目代表取締役の伊藤拓宗氏は語る。
1925年創業の信州おやき専門企業を率いるかたわら、年間30万人が訪れる体験型施設OYAKI FARMを牽引する経営者の素顔は、自分をさらけ出すことを怖いと感じる、どこか等身大の人間だった。
地元でもある長野県で育ち、大学進学を機に上京。卒業後、印刷・広告関連の企業に約2年勤め、27歳で長野へ帰郷と同時に結婚。専務を経て2023年に代表取締役に就任した。工場が遊び場だった少年期の原体験から、「手ぶらじゃ帰れない」と誓った東京時代まで、その素顔と経営の原点を辿った。
1984年札幌市生まれ。2007年オプト入社、ソウルドアウト創業に参画。営業責任者として中小・ベンチャー支援の拡大を牽引。事業成長ならびに上場に貢献した後、CRO、マーケティングカンパニープレジデントを経て、2024年より専務取締役COO。現在は「ローカル&AIファースト」構想を掲げ、全国拠点展開とデジタル活用を通じた地域企業の事業成長支援を推進。2026年4月、代表取締役社長CEOに就任。あわせて、博報堂DYホールディングス執行役員に就任。
目次
工場が遊び場だった少年と おばあちゃんの静かな期待
幼少期の、いろは堂にまつわる一番古い記憶を教えてください。
うちは1階がお店と小さな工場で、2階に家族が住んでいるという造りで育ちました。だから工場が文字どおり遊び場でした。家族と近所のおばあちゃんたちが数人で一緒に働いていて、今にして思えば、そこで遊びながら育ててもらったようなものです。
衛生の概念もまだ定まりきっていなかったような時代で、子供がうろうろしていても怒られなかった。おやきの生地を分割する機械に手を突っ込んで縫い跡が残ったこともあるんですが、それも今となっては思い出です。
製造のこと、お店の雰囲気、どんな人たちが働いているか。そういった景色は、自然と体に染み込んでいました。ただ、外から見ていた景色と実際にビジネスとして帰ってきてからの景色は、やはり違いました。
戻ってみて感じたのは、規模が大きくなり人が増えても、精神性や仕組みはちゃんと先代から継承されているということ。その一方で、感覚でやっていることを言語化・明文化していく必要があるという課題も見えてきました。
いろは堂を継ぐことを意識し始めたのはいつ頃だったのでしょうか。
両親は「継ぎなさい」とはほとんど言いませんでした。ただ、祖母の刷り込みだけがすごかったんです。祖母の長男にあたる伯父は幼い頃に亡くなっており、祖父も「自分の代で終わりだ」と思っていたそうです。そこへ父が婿養子として入ってきた 。祖母にとって、私は待望の直系の男の子だったわけです。「あなたがやるのよ」という刷り込みが、気づかないうちに深く入り込んでいたのだと思います。
中学生くらいまでは料理にも興味があって、継ぐこと以外の人生を漠然と考えていた時期もありました。でも気づけば「いつかは継ぐだろう」という気持ちになっていた。その辺の流れは、祖母のおかげが大きいかもしれません。
東京の憧れと 「手ぶらじゃ帰れない」という覚悟
大学卒業後、食品業界ではなく印刷・広告関連の企業に就職されたのはなぜでしょうか。
当時は東京に住んでいて、その暮らしが好きだったんです。東京への憧れが強くて、どうせいつか食品の仕事をしなければならないなら、その前に全然違う業界を経験してみたかった。今となれば食品系に行けばよかったとも思いますが、あの頃はそういう気持ちでした。
父自身も若い頃は「社会勉強に行くところだ」というスタンスだったらしく、私の判断も寛容に見守ってくれました。学生時代にあまりまじめに学校へ行かなかった時期もあって、そういうことにも怒らない人なので、反発しようがなかったという側面もありますが。
ちゃんとしたサラリーマンみたいなことをやってみたいという気持ちが、あの頃は確かにありました。
27歳で長野へ帰郷するという決断には、どんな気持ちがありましたか。
「手ぶらじゃ帰れない」という気持ちはどこかにあって、帰るなら今付き合っている人と結婚して帰ろうと決めていました。妻とは大阪での出会いです。関西の方のコミュニケーションのテンポが新鮮で、面白いなと思ったのを覚えています。
付き合い始めてしばらくしてから「いつか長野に帰る」と伝えて、理解してついてきてくれたことには、本当に感謝しています。関西出身の妻が東京を経て長野に来てくれたことは、当たり前のこととは思っていません。連れてきてしまったという気持ちもどこかにあって、今も家のことは奥さんに全部任せてしまっているので、どこか後ろめたさにもつながっているかもしれません。
長野に帰郷し気付いた 「生かされている感覚」の正体
東京時代と長野に帰ってきてからで、日々の感じ方はどのように変わりましたか。
若いときは東京が楽しかった。それは間違いないです。ただ長野に帰ってきてからも仕事が充実して、地域とのつながりが濃いというのは、東京とは別の豊かさがあると感じています。 しがらみも多いですけど、よく言えば「仲間の中にいる」「必要とされている」という感覚が得やすい場所だと思っています。 四季を感じられる環境で育てられることは、子供にとっても良かったと思っています。
ただ、「長野に戻ってよかった」という感覚の基準が、どうしても仕事に紐づいてしまっているのは自覚しています。仕事があることの使命感、ここで必要とされていること、それが私の居場所感につながっている部分が大きい。人生をやり直せるとしても、おそらく一度外に出てから戻ってくるという流れは同じだと思います。
子供たちにも、外の世界を経験してから地元に帰ってくることの大切さは伝えたいですね。でも、中学生から一人で出すのはまだ寂しい。大学進学くらいがちょうどいいかなと思っています。
「生かされている」という言葉を使っていらっしゃいましたが、その感覚について聞かせてください。
おじいちゃんがおやきを開発してくれて、先代が積み上げてきたものがある。その上に、たまたま自分がいるという感覚です。自分が何か大きなことをやり遂げているというよりも、今まで関わってきた人たちの積み重ねの上に乗せてもらっているという気持ちの方が強いです。
OYAKI FARMのオープン前に、幼い頃に一緒に働いていた方々を招待したことがありました。もうみなさんおばあちゃんになっていましたけど、「よくやった、すごいな」と言ってもらえた瞬間に、「あなたたちがやってきてくれたからこそこれが作れたんだ」という気持ちが込み上げてきて、ふだんあまり感情を表に出す方ではないのですが、その時は涙が出ました。
ずっと張り詰めていて、達成感を味わう暇もなかった中で、何があっても成功させなければという気持ちと、今まで関わってきた方への感謝が一気にきた感じでした。
「ちっぽけさと向き合うのが怖い」 経営者の仮面と素の自分
「社長」「いろは堂の後継者」という肩書きをすべて取り除いたとき、伊藤さん自身はどんな人間だと思いますか。
正直に言うと、怖いんですよ。そういうものすべてを背負うことで、架空の自分というか、役を演じている自分がいるような気がして。全部取ったら本当にちっぽけな人間になってしまうんじゃないかという感覚があります。 コンプレックスも多分いろいろあって、そういうものが根っこにあるんだと思います。
積み上げてきた実績は自信になっていますが、それも「今まで関わってきた人たちや社員のおかげ」という感覚の方が先に来るので、自分の手柄という気があまりしない。舞い上がったり調子に乗ってはいけないという自制心もある。この辺の感覚は、多分ずっと変わらないと思います。
癖として、めちゃくちゃ真面目に考えるところと、ある種開き直るところが自分にはある。それが全部背負ったら身動き取れないところを、なんとかバランスさせてくれているのかもしれませんね。
趣味や、仕事以外で自分を取り戻す時間はどのように持っていますか。
これといった趣味がないんですよね。スポーツは、ほぼ全部観るのが好きで、一番は野球です。小学校の頃はすごく野球をやっていたのですが、山奥の学校で中学に野球部がなかったことで、その道が断たれてしまった。もし続けていたら、また違う性格になっていたかもしれません。球団でいえば東京ヤクルトスワローズが好きです。王道じゃないところが自分の性格と合っているのかもしれない。
仕事でパリとバルセロナに行ったことがあるんですが、バルセロナの方が性に合うと感じました。ジャイアンツよりスワローズ、パリよりバルセロナ。王道より少し外れているところが好きというのは、一貫しているかもしれません。
いつかやってみたいことや、実現したい夢はありますか。
学生を卒業する前に、父と二人でバルセロナへ旅行したことがあって。まだ完成していなかったサグラダファミリアを前に、父が「完成する頃にはお前に連れてきてもらわなきゃな」と言ったんです。今年か来年、いよいよ完成を迎えると聞いています。 元気なうちに実現させたいというのが、個人的にずっと持っている夢の一つです。
あと、娘のバージンロードをいつか一緒に歩く姿を想像すると、それだけでもうウルウルきてしまいますね。他人の結婚式でも感情移入してしまうタイプなので、自分の娘の時は相当だろうなと思っています。
経営者は24時間社長 長野で感じる居場所と使命感
父から「経営者は24時間社長だ」と言われたというお話がありました。その言葉は今も響いていますか。
響いていますし、実感しています。オンもオフも明確に切り替わることはなくて、常に何かしらアンテナを張っていないといけないという感覚は、意識的かどうかはわからないけどずっとある。 ビジネスとしての長野、いろは堂、おやき、それと自分の生活の間にはっきりとした区切りがなくて、グラデーションの中で生きている感覚です。
飲みに行く機会が多いのは、お酒が特別に好きというよりも、飲む場があるとコミュニケーションが取りやすくなるという自分の性質があるからだと分析しています。普段の場ではあまり主張しないというか、それほどぺらぺら喋るタイプじゃないので、飲む場があることで外の人と自然に話せるというのがある。長野県民の男性に多い気質かもしれないとも言われました。
同世代の経営者仲間との交流の中で、共通して感じる課題はありますか。
同世代の経営者仲間は事業承継をしたか、これからかというタイミングの方が多くて、父親との関係とか、先代からの引き継ぎにまつわる悩みはみんなそれぞれ持っています。そういう話ができる場があることは、正直ありがたいです。
私自身、3年前に社長に就任してから「自分の役割は何か」を考え続けてきました。先代のように自分一人で全部マネジメントするのは無理だと早い段階で思っていたので、権限と役割をちゃんと分担して組織で動けるようにシフトしてきた。それはある種、父への劣等感でもあったけれど、そこから逃げずに向き合ったことが今の組織につながっているとも思っています。
創業100年のプレッシャーはありますが、それに潰されるよりも、ちゃんと守って次の世代により良い状態で渡すことに集中した方がいい。割り切りと開き直りが、自分なりのバランスの保ち方なのかもしれません。
次の世代に何を渡せるか考え続ける伊藤さんの歩みを、これからも応援しています。本日はありがとうございました。
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