工場を止めた日、会社は強くなった。福井の印刷会社が見つけたローカルでの勝ち筋

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「工場を止めることを、自らお客さんに話しに行ったら、仕事が増えた」
そう語るのは、チャンスメーカー株式会社の代表取締役・平林氏だ。福井県に本社を置く同社はDM・ノベルティ・販促グッズを軸としたBtoB特化の販促支援企業として、福井・東京の2拠点で全国展開している。自社工場を持たないファブレス経営と、全国の協力工場ネットワークを活用したプラットフォーム型の仕組みで今日まで成長を続けてきた。

印刷会社として創業し、印刷機を持ち続けることが当然とされた時代、平林氏は工場の停止をあえて自ら発信した。「どの工場でもお客さんの要望に合わせて作れる」という強みに転換した経営は、制約の中から積み上げられてきた発想だ。2027年のIPOと単独100億円売上を宣言し、今なお動き続けている。
本記事では、23歳での事業継承から始まった業態転換の軌跡と、積み上げの末に見えてきた経営の「勝ち筋」について、詳しく聞いた。

北川 共史
loconomiQ 編集長 ソウルドアウト株式会社
北川 共史 TOMOFUMI KITAGAWA
代表取締役社長CEO

1984年札幌市生まれ。2007年オプト入社、ソウルドアウト創業に参画。営業責任者として中小・ベンチャー支援の拡大を牽引。事業成長ならびに上場に貢献した後、CRO、マーケティングカンパニープレジデントを経て、2024年より専務取締役COO。現在は「ローカル&AIファースト」構想を掲げ、全国拠点展開とデジタル活用を通じた地域企業の事業成長支援を推進。2026年4月、代表取締役社長CEOに就任。あわせて、博報堂DYホールディングス執行役員に就任。

目次

    工場を止めた日に始まった逆転の起点

    23歳で家業に戻った当時、会社はどのような状況にあったか教えてください。

    当時、社員は10人ほどで、年間売上はおよそ9,000万円でした。一人を採用するにも相当な覚悟が必要な規模です。戻った直後は、自分一人で営業・デザイン・印刷・製本・納品の全工程をこなしていました。

    専門学校でひととおりの工程を学んでいたため対応はできましたが、当然ながら一人でできる量には限りがあります。少しずつ仕事を分担していこうと人を増やしていきましたが、人が入っては辞めていく状況が繰り返されました。

    その繰り返しの中で、自分が直接動くべきことと、仕組みに委ねるべきことを、少しずつ整理するようになっていきました。

    工場を止めるという決断に至った経緯を教えてください。

    当時の自社の印刷機は、業界全体の水準から見れば「おもちゃ」のようなものでした。

    設備投資に回す余力はなく、アウトソーシングの方が品質も納期の柔軟性も高い状態です。

    あるオペレーターの方から2度目の退職の意志を伝えられたとき、説得を続けても意味がないと判断しました。工場を止めるしかない、という状況です。

    ただ、静かに止めるのではなく、自らお客さんに話しに行くことにしました。工場をやめること、そしてお客さんが欲しい価格・品質・仕様に合った全国の工場で生産することを、一件一件伝えに回った結果、仕事が増えたのです。

    自社工場を持てば順番待ちが生じますが、全国の協力工場ネットワークを使えばお客さんの条件に合わせた工場を選べる。弱点と思われた状況を、自ら定義したことが、そのままポジショニングに変わりました。

    商品を先に決めて売る 印刷業界になかった成約の仕組み

    印刷業では伝統的に、まず顧客のニーズをヒアリングしてから仕様を決める完全オーダーメイドが商習慣でしたが、商品化という発想はどこから生まれたのでしょうか。

    印刷会社の営業は、まずお客さんのニーズをヒアリングして、提案して、カスタマイズして受注につなげるのが基本です。経験とセンスが必要で、一人前になるまでには時間がかかりますが、育った頃には辞めてしまいます。これでは会社が安定しません。

    ヒントになったのが、保険会社の営業スタイルです。パンフレットを持って、決まった商品を提案しながら回っていく。誰でも動ける形になっている。売る商品を先に決めて、それに合ったお客さんにセールスする形に変えれば、教育コストも営業の属人性も大幅に下がります。

    仕組みさえ整えれば、経験の浅いスタッフでも成果を出しやすくなるはずだという考えから、商品化を進めていきました。

    具体的に、どういった商品を選んだのでしょうか。

    最初に着目したのは、カレンダーとタオルです。カレンダーは年末に企業が購入・配布する機会が多く、タオルは夏のお中元や年末の大掃除など、季節ごとに需要が生まれます。どちらも業種を問わず、ほぼあらゆる企業が買い手になり得る定番品です。ある会社に売れたら、同業種の隣の会社にも持っていける。そういう横展開が成り立つ商品でもあります。

    成約率が上がれば件数を増やせます。件数が増えれば売上が立つ。一見シンプルですが、完全オーダーメイドが前提の印刷業界では、この発想自体がほとんどありませんでした。競合が少ない定番商品に絞ったことで、価格を事前に提示しやすくなり、商談の時短が実現できました。

    定番商品で成約の基盤を固めた次のステップとして、商品選定の基準にも独自の視点が生まれてきました。うちわとチラシを比べると原価はさほど変わりませんが、受け取る側の反応は全く違います。

    チラシよりうちわの方が受け取られやすいし、喜ばれる。であれば売りやすく、お客さんにも価値が伝わりやすい。こういった商品を選び続けることで、利益が残る構造が少しずつ見えてきました。

    近所の同業者に教えたら生まれた共同買付の原点

    印刷以外のノベルティや販促グッズへ事業を広げていった経緯を教えてください。

    うちわと印刷物の営業プロセスを比較すると、商談の組み立てがほぼ一致しています。ヒアリングから提案の流れは同じで、最後に「印刷物にするか、うちわの骨に貼るか」の違いがあるだけです。であれば、既存の営業スタイルのままで売れる。そう気づいてから、ノベルティや販促グッズへの対応を広げていきました。

    あわせて、近所の印刷会社にもこのやり方を教えるようになりました。印刷業界全体がしんどい時代でしたから、みんなで切り抜けようという気持ちもありました。受注してきた会社のノベルティも、同じ仕入れ先で作れれば効率が上がります。同業者への共有は、ビジネスの観点からも理にかなっていました。

    その取り組みが、今のプラットフォーム型の事業原型になったとお聞きしました。

    教えた会社から「成約できそうだが、発注先がわからない」という声が次々と上がりました。それならうちが受け取って、まとめて発注すれば量が増えて単価も下げられる。福井の小さな印刷会社が同業者の受注をまとめてメーカーへ発注する、共同買付の形がここから始まりました。

    最初はFAXDMで案内していましたが、次の商品は何かというリクエストが来るようになり、いつでも確認できるサイトを作ろうと約20年前にウェブサイトを立ち上げました。自社工場を持たないからこそ外注に頼るしかなかったのに、そのネットワーク自体が差別化の源泉になっていく。弱みが強みに変わるという逆転が、ここでも起きていました。

    1日20万通から年間3億通へ 工場完全自動化の狙い

    現在、自社DM工場の完全自動化を進めているとのことですが、その内容と狙いを教えてください。

    この夏に、DMの印刷・製本・仕分けまでの全工程を自動化する予定です。現状は1日20万通(年間換算で約7,300万通)の発送をこなしていますが、年間1億通を目指しており、最終的には年間3億通のトップラインを目指しています。

    現在は工程ごとに人が介在して確認作業をしていますが、自動化後はデータが入ると自動でチェックされ、15台ある印刷機へ自動で振り分けられ、プリント・断裁まで完了します。似た仕様のジョブを集約して、一括処理できるようになれば24時間稼働が可能になり、キャパシティは現在の3倍に達すると見ています。

    スピードが上がることはコスト削減にもなり、その分をお客さんへ還元できる。速度とコストの両面で市場から仕事を取ってくるという構造を、今まさに作っているところです。

    自動化と人の役割の線引きについて、どのような考え方をお持ちでしょうか。

    できるなら人が介在しない方がいい、というのが基本的なスタンスです。ただ工場で働く方を他の職種に異動させるつもりはありません。自動化でキャパシティが上がった分、営業がより多くの仕事を取ってくる。そうすると今の人員では足りなくなる。雇用を守るというより、むしろ増やせる方向に向かうと考えています。

    ただそのためにも、工場の敷地を広げる必要があります。福井の工場周辺は農地で、農地転用に法律上の制約があります。そこで農業法人に隣地を一度取得してもらい、そこからうちが買い取るというスキームを仕込んでいます。

    約1,000坪が確保できれば駐車場が100台分増え、新しい建物を建てて現在の建物を全て工場に転換できる。スペースが解決できれば、生産能力の拡張はかなり現実的になります。

    垂直統合と若手育成 M&Aで描く地域企業の未来図

    100億円を達成するうえで、M&Aをどのように位置づけているか教えてください。

    自社を深掘りすればするほど自社に不足しているものが見えてくる。地域を見渡せば良い会社はたくさんあるのに、何かが足りないから業績が伸び悩んでいる。そこに自分たちの営業力や仕組みを持ち込んで一緒に伸ばすのがM&Aの動機です。

    全株を取得したいという気持ちもありますが、相手方に半分を持ったままにしてもらい、業績が上がってから売ってもらっても構わないというスタンスをとっています。後から売った方が売却額は高くなる。共に伸ばすことに意味がある、という話をしています。判断は最終的には勘に頼る部分も大きいですが、シナジーのないものは最初から外します。事業の重なりがあって、かつ価格感が合うと思えれば初回面談に進む、という流れです。

    買収した会社の経営を若手社員に任せているとのことですが、その狙いを教えてください。

    DM事業の会社を8〜9年前に買収した際、当時の売上は6億円ほどでしたが、今は50数億円になっています。約10倍です。この実績を踏まえて、今回買収した会社には3年で30億、5年で50億という目標を社員に示しています。

    今は元部下4人がその会社に入り、30代の社員が代表を務めています。銀行との交渉も補助金の申請も、まず自分でやってみてもらう。わからなければ手伝うという形です。個人保証は自分がする。失敗したからといって命は取られません。だから積極的にやってほしい、という話をしています。若いうちにこれだけの経験ができるとは思わなかった、とよく言ってくれています。自分が若い人を育てたいという気持ちもあって、このスタイルを続けています。買収先の前社長が退任した際にも、誰一人辞めずに残ってくれたことが、ある意味で答えの一つだと感じています。

    正しさに固執しない チャンスメーカーであれという問い

    「チャンスメーカーであれ」というパーパスは、どのような経緯で策定されたのでしょうか。

    実は、私は策定に関わっていません。役員たちが主導して作ってくれました。出来上がったものを見せてもらったとき、違和感が全くありませんでしたね。自分が言語化できていなかったことを、そのまま言葉にしてもらったという感覚があり、一緒に参加してくれていた方からも、社長の思いをよく表現していると言ってもらいました。

    毎週月曜の朝にみんなでパーパスを読み上げるようにしたのは最近のことです。月1回の朝礼でやっていたのを週1に変えました。「チャンスメーカーらしくない」という指摘が日常的にできる環境をつくりたかった。バリューは5つ定めていますが、私が一点だけ変えてもらったのは「チャレンジ」を「トライ」にしたことです。

    チャレンジというと少し身構えてしまう。トライの方が気軽に踏み出せる。小さく始めることが積み上げにつながると考えているので、そこだけは言い換えをお願いしました。

    従業員のみなさんは、会社のパーパスやビジョンを具体的にどう体現されているか教えてください。

    これが正しい、という思い込みを崩すために、数値目標そのものを更新し続けることをしています。新卒営業職の1日の架電件数をKPIとして100件に設定したところ、最初は50件がやっとでした。翌年には100件近くできるようになり、今年から200件に引き上げた結果、実際に200件できるようになってきています。そうなると「100件なんて簡単」という感覚になる。常識の更新です。

    また、過去にデジタル広告へ大きく投資したことがあります。広告費をかければお客さんが戻ると思っていましたが、実際は入ってきてもすぐ離脱する。品揃えと店づくりができていない状態では、広告を打っても意味がない。この経験から、営業力より先に商品力と工場の生産能力を整えるべきだという考えに至りました。

    営業こそ花形という思い込みを手放してから、見えてくる景色が変わりました。今は商品が磨かれ、生産能力が整ってさえいれば、仕組み化された営業でも十分に成果を出せると考えています。

    2027年のIPOと単独100億円という目標に向けて、今最も注力していることをお聞かせください。

    数字よりも、仕組みを残せるかどうかを重視しています。社員がチャンスメーカーらしく動けて、自分がいなくなっても会社が成長し続けられる組織になっていれば、次の人でも社長が務まる。そういう形をつくることが、今一番やりたいことです。

    今までやってきたことを、数と教育の両面で繰り返していけばいい。答えは見えていると感じています。採用面では、以前は1,000人との接触で20〜30人を採用していましたが、5,000人近くと接触して30人を採用するという方針に変えています。接触数を増やせば質の高い人材に巡り会える確率が上がる。チャンスメーカーらしい人を採用できるようになれば、仕組みと人がそろっていく。その循環を、地道に整えているところです。

    事業と仕組みを積み上げ続けてきた平林社長のさらなる展開を、楽しみにしております。B面では平林氏のプライベートについてもお伺いします。

    こうした「制約をチャンスに変える経営」は、どのような原体験から生まれたのか。B面では、平林代表の会社員時代、継続へのこだわり、そして家族との関係から、その素顔に迫ります。

    北川 共史

    北川 共史 TOMOFUMI KITAGAWA

    編集後記

    平林氏の語る「積み上げ」の随所には、「逆転」が宿っています。 「お金がない、即お金にしないといけない」という制約が、成果の出せる商品モデルを形づくりました。工場を持たないことが全国ネットワークへのアクセスへと転換され、同業他社への情報共有が共同買付の仕組みを生みました。弱みを嘆くのではなく、定義しなおして先に動く。この「制約を逆手にとる思考」こそが、チャンスメーカーという社名の意味と重なって見えました。

    月300キロを走り続けるという日々も、平林代表にとっては積み上げの一部に過ぎません。事業の作り方と自身の生き方が、同じ論理で動いているリーダーの姿に、チャンスメーカーの強さの本質を見た気がします。

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