「本来人間的な生き方はもっと深いもの。深く密な人間関係が好きなんです。」
そう語るのは、株式会社キッチハイク代表の山本雅也さん。保育園留学で初めて訪れた時に仕事をしていた場所に本社を構えました。回覧板が回り、近所の人が野菜や果物を届けに来てくれる日々。
常識を疑い続けた少年時代から、創業事業となった50カ国450日の食旅、コロナ危機を経て保育園留学という新たな挑戦へと至る、一人の起業家の等身大の姿があった。
1984年札幌市生まれ。2007年オプト入社、ソウルドアウト創業に参画。営業責任者として中小・ベンチャー支援の拡大を牽引。事業成長ならびに上場に貢献した後、CRO、マーケティングカンパニープレジデントを経て、2024年より専務取締役COO。現在は「ローカル&AIファースト」構想を掲げ、全国拠点展開とデジタル活用を通じた地域企業の事業成長支援を推進。2026年4月、代表取締役社長CEOに就任。あわせて、博報堂DYホールディングス執行役員に就任。
目次
待機児童を続けていた横浜から一念発起し厚沢部町へ
本社を移転した厚沢部町移住交流センターについて、山本さんにとってどんな場所なのでしょうか。
2021年の夏、保育園留学で来た時に私が仕事していたのがこの移住交流センターで、思い出の場所です。この場所に本社を移転できたのは感慨深いです。2025年11月に本社移転したので、ここでメディア取材を受けるのも初めてです。
厚沢部町へ「本社移転を検討している」と伝えた際は、非常に驚かれましたが、同時に「ぜひ共に歩んでいこう」という温かい歓迎をいただきました。
私たちの移転検討がひとつの契機となり、町としても多様な企業を受け入れるための企業誘致制度の見直しや、移住支援金の拡充が迅速に進められました。こうした自治体の柔軟な体制整備により、私たちが最初のモデルケースとなれたことを光栄に感じています。
今後は「保育園留学」をきっかけに移住を検討するご家族が増えることを期待しています。移住の大きな壁となる「仕事」の問題に対し、「キッチハイクで働く」という選択肢を提示できることは私たちの強みであり、町への貢献にもつながると信じています。
そもそも厚沢部町を知ったきっかけが、「こども園はぜる」の写真だったと伺いました。
2012年に起業して8年〜9年ほど経った頃、厚沢部町の特産品であるメークインのプロジェクトをご一緒していた時に、厚沢部町の保育園はどんな感じなんだろう?と思って、インターネットで偶然知ったのが、はぜるの園庭の写真でした。当時娘が1歳半で、横浜市内で待機児童をしていたのですが、何カ月経っても希望の園には入れず。
「小学生までずっと待機なんじゃないか?娘の人生を偶然にかけていいのか?」と焦っていました。
私は娘のことが本当に好きで、世の中の保育園、幼稚園、認定こども園の管轄や、待機児童がどうすれば解消されるか、複雑なポイント制度など。東京と神奈川、千葉の保育園を全部比較して、とにかく知りすぎていたんです。
だからこそ、はぜるの園庭を写真で見た時に「ここに娘を通わせたい!」と衝撃を受けると同時に、「保育園留学」という数週間の形であれば、実現できるのかもしれないって、思えたんです。そう思って役場の方やはぜるの先生方にご相談したのが始まりです。
2021年の夏、3週間の保育園留学をさせてもらって、認定こども園はぜるの先生方の真剣さ、主体保育に感銘を受けたし、厚沢部町の未来を切り拓く地域創生事業になり得る、と徐々にわかってきたんです。そこから徐々に保育園留学としての多面的なイメージが膨らんでいきました。
ニュータウンと地方の暮らしのコントラスト
ニュータウンと厚沢部町での暮らしのコントラストは、山本さんの創造性にどう影響していますか。
生きてる実感は明らかに強いですね。横浜に住む前まではずっと東京に住んでいましたが、隣の家にどんな人が住んでいるかわからないし、喋る機会もありませんよね。私は結構フレンドリーに挨拶したいタイプなのですが、近所の人とも関わらないようにすれ違うみたいな雰囲気がありました。
それと比べるとやっぱり楽しいですよね。回覧板も回ってくるし、「おいしいアスパラがあるからあげる」とか「メロンいりますか?」みたいな、そういう人間的な日々が本当に良いなと思います。
向かいのおばあちゃんが白菜を持ってきてくれたら「ありがとう」と伝えて、それを食べれば「おばあちゃんがくれた白菜美味しいね」と言い合える。娘にとっても良い体験が生まれていて、それも良かったなと思います。ちなみに、私もお土産の韓国のりをお渡ししたりしていました。
現在はそういう価値観が「是」ではないと感じる方も多いと思います。「他人との共存は面倒だ」「自分たちのテリトリーで生きたほうが楽だ」という考え方もありますが、山本さんにとっては厚沢部町での暮らしがしっくりくるものだったんですね。
人間関係の濃い・薄いには好みもあると思いますので、全員にとって地方移住がいいとは思いませんし、押し付けようとも考えていません。ただ、僕の場合はそういう深く密な人間関係が好きで、人生の最高も最低も知りたい好奇心があり、つらいことがあっても「そういうこともあるよな」と興味深く感じます。
常識を疑い続けるようなひねくれ者だった少年時代
幼少期や小学生の頃の山本さんは、どんな少年だったんですか。
友達は多い方でしたし、どちらかといえば学級委員長とかもやるタイプでしたけど、ひねくれていた気がしますね。先生や大人をまっすぐには信じない子どもだった気がします。
価値観を押し付けられるのが納得いかなかったんだと思います。
「前はそうだったかもしれないけど、僕はこうした方が良いと思います」みたいなことを言って、常識を疑うタイプだったように思います。
ご両親の影響もあったのでしょうか。
父は京都出身の関西人で、空港の設計をやっていました。実家に模型があったので、「作る」ということに興味があったと思います。父親は酒好きですが、真面目な人でした。
母は、「勉強しろ」とは言いませんでしたが、「人と違うように」「自分らしく」「先生の言うことは聞かなくていい」と、はみ出すことを応援する感じではあったかもしれません。厚沢部町にも3回くらい来てくれたことがあり、自分の活動を見てくれているように感じて嬉しく思います。
「人生が好転する出会い」が増えていく世の中をつくりたい
書籍にもなっている「キッチハイク!突撃!世界の晩ごはん」ですが、ものすごい旅ですよね。
会社員をしていた最後の1年に思いついたアイデアでした。人の家でご飯を食べられて、それがプラットフォームになったら世の中がもっと良くなると思って。まず自分で体験しました。およそ50カ国、450日ぐらいかけて世界を周っていました。
帰国後にAirbnbの食版、kitchhike.comをリリースしたのが創業の事業です。
コロナまで7年間やり、コロナ禍をきっかけに苦渋の決断ではありましたが、休止の判断をしました。2020年春から1年間の空白が本当にきつかったですね。
キッチハイクにとって「地域性」が事業の核になってくるのでしょうか。
もちろん地域性も非常に重要ですが、私たちの根幹にあるのは、「人をつなぐ」ことが一番にあります。世界をより良くするために人の出会い方を変える、良くする、増やすというのが創業から今も続いています。
例えば保育園留学でスタッフが厚沢部町などの地域に来るのも、出会いを作る仕組み化をしているという観点で当時から変わっていません。
山本さんの原体験として、人と人を繋いだことが喜ばれて、嬉しかったなどの経験があったのでしょうか。
「あの人との出会いが分岐点だった」みたいな経験は、多くの人の人生においてもあると思うのですが、そういう「人生が好転する出会い」が増えていく世の中は「いい世の中」だと思っています。
あとは、基本的に世界平和を願っています。本当にそう思っていて。
世界平和のためには、より良い人と人の出会い方・繋がり方が大切で、本来出会わなかった人、価値観が違う人を出会わせるのは大事だと考えています。国籍、宗教、言語、文化が違う人が出会って繋がると何かが生まれる。その数を増やせば増やすほど、ボトムアップで世の中が良くなっていくのだろうと思います。
今の世界の方向って、むしろコミュニティの中での島取り合戦みたいになっちゃっていますよね。
「世の中は悪い方向に向かっている部分があるかもしれない」と思う時もあります。
ただ、あくまでもトップダウンで見た場合の話で、1対1で話すと仲が良かったりする。それが真実で、ミクロな世界の1対1に可能性を感じているので、そっちに寄り添って人生を進めていきたいです。
「具体の中に抽象はあるけど、抽象の中に具体はない」と言っているのと同じで、具体的で現場感があって、下から積み上げていく感じが好きです。
原動力となる「社会への不満」と人に対する信頼の構築
山本さんのすごいエネルギーの原動力はどこから来ているんですか。
社会への不満かもしれません。小学校か中学校の時に、「大人は信用ならない」みたいな社会への不満を書きまくった作文が賞をもらったのを覚えています。
ただ、世の中の変え方としては、ポップで楽しいのが好きなんです。その不満のネガティブなパワーを、アプローチまでネガティブにするというのを絶対やらないと決めているので、1ミリも表には出しません。「楽しくやろうぜ」が10代からずっと続いているような感覚です。
どこかで人間への信頼を冷静にみている一面もあるように感じます。
人間の持つ「不確実性」に対しては、冷静に捉えている部分もあるかもしれません。
自分は「アイデア」がとても好きで、もし自身に本当に良いアイデアが降ってくれば、昨日までの考えもアップデートして行動を変えていく。そういった意味で、そもそも一貫した自己に期待していないということかもしれません。
人は変わるという前提があって、それは決して悪いことではありません。「やっぱりこうします、やっぱりやめます」があると思いながらいつも人と接することはむしろ誠実です。基本的には性善説で、変わることがある前提で信用しているとも言えます。
保育園留学が担うのは「家族の幸せ」を増やすこと
現在の短期的な事業上の課題はどういったところですか。
最大の課題は、保育園留学が持つ本質的な価値を、まだ届けきれていないことです。
一部ではまだ「特別な旅行体験」という側面に注目が集まりがちですが、私たちが提供したい真の価値はその先にあります。これからの時代を生き抜くための非認知能力の向上や、メタ認知能力の育み、AI時代により価値のある身体性豊かな原体験。そうした「一生もの」になる学び体験であり、同時に地域社会を支えるサステナブルな仕組みでもある。
こうした「教育」と「地域共生」の両面にある深い意義を、一過性のブームではなく、確固たる文化として正しく伝えていくことが、今取り組むべき挑戦だと考えています。
一方通行のコミュニケーションでは難しいですよね。
そうなんですよ。例えば経営者の方に向けた訴求で言うと、「2週間、会食なしで家族に向き合える」という価値があると思います。会食週3以上やっている経営者の方に、「その時間って人生で本当に大切か」「家族も幸せになれる両方のバリューを一緒に追える」という合理的な考えがここにあるということを、もっと伝えてもいいんじゃないかと思っています。
本当に、家族が一番じゃないですか。
ご飯を食べさせるために働かせるという時代じゃないからこそ、真剣に家族に向き合うという時間を日本全体で相対的に増やしていくことがすごく大事だと思っています。
家族の幸せを究極的に追求したい人にとって、その時間・絆を強めるための最も有効な手段として保育園留学があります。そのため、保育園留学に来た限りは人生観が変わると思います。これをもっと伝えたいですね。
本日はありがとうございました。
山本氏の原体験から生まれた保育園留学は、家族の体験にとどまらず、地域の課題を解きほぐす取り組みへと発展しています。A面では、人口減少が進む厚沢部町で、キッチハイクがどのように地域の可能性を広げているのかを紹介します。
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