人間関係ゼロで始めた三年間を経て福井の四代目が磨いた「継続」の力

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「苦とは思わない。決めたんでしょという感覚で続けられるから」
そう語るのはチャンスメーカー株式会社の代表、平林氏だ。高校卒業後、印刷の専門学校に進み、大阪の印刷会社で3年間の営業経験を積んだ後、23歳で家業に戻った。双子の兄として「なんとなく」継ぐと決めた少年が、誰も知らない大阪で成長を重ね、福井から全国へと事業を広げてきた。その原動力のひとつは、一見地味な「継続」という言葉に宿っていた。

北川 共史
loconomiQ 編集長 ソウルドアウト株式会社
北川 共史 TOMOFUMI KITAGAWA
代表取締役社長CEO

1984年札幌市生まれ。2007年オプト入社、ソウルドアウト創業に参画。営業責任者として中小・ベンチャー支援の拡大を牽引。事業成長ならびに上場に貢献した後、CRO、マーケティングカンパニープレジデントを経て、2024年より専務取締役COO。現在は「ローカル&AIファースト」構想を掲げ、全国拠点展開とデジタル活用を通じた地域企業の事業成長支援を推進。2026年4月、代表取締役社長CEOに就任。あわせて、博報堂DYホールディングス執行役員に就任。

目次

    なんとなく決めた継承 双子の兄が選んだ四代目という道

    小学生の頃から家業を継ぐことを意識していたとのことですが、当時の感覚を教えてください。

    双子の弟がいて、小学生の頃から親族に「どっちが継ぐの?」という話を繰り返し聞かされていました。弟はやらないということで、自然と自分が継ぐという流れになっていった。意気込んで決めたというよりも、家業という前提がある中で、なんとなく選ばれていった感覚です。

    今振り返ってみると、間違いではなかったと思っています。あの選択が最善だったかどうかというより、選んだことに向き合ってきたこと自体が、自分の根っこになっている気がします。

    当時は継ぐのが当たり前という空気の中に置かれていて、選んでいたというより決まっていた、くらいの感覚でしたが、今もその選択を後悔したことはありません。

    平林家の代々について、受け継いできた経営哲学のようなものはあるのでしょうか。

    初代・二代目については詳しく知りません。二代目の祖父は、父がまだ若い頃にすでに他界していたので、話を聞く機会がありませんでした。三代目の父は早くから「六十歳になったらとっとと辞めたい」「早くよろしく」という雰囲気で、経営の哲学を語るというより、後任に任せたいというスタンスの方が強かったです。

    ただ親族が集まると、平林家の男は全く仕事をしないという話をよく聞かされました。自分だけが突然変異だと言われています。たしかに、真面目に仕事をしているのは自分だけかもしれない。どこからそういう性格が来たのか自分でもよくわかりませんが、もしかしたら母方の血かもしれないとは思うことがあります。

    いずれにせよ、経営の軸は誰かに教わったのではなく、自分でやりながら見つけるしかありませんでした。

    大阪で人脈なしに挑んだ三年 福井に持ち帰った距離の感覚

    専門学校卒業後、大阪の印刷会社に就職された経緯を教えてください。

    大阪の会社は大卒しか採らない方針でした。専門学校ではスポンサー獲得をテーマにした卒業研究に取り組みました。当時は卒業研究を「買う」名目で採用される慣行もあり、その研究を持ち込み入社を頼みました。

    当時付き合っていた彼女が福井にいて、東京では遠すぎると言われたのが大阪を選んだ直接の理由です。住む場所も知り合いも何もない状態からのスタートで、最初の1カ月はホテルに泊まりながら仕事をしていました。会社には5年ほどで福井へ戻る前提を伝え、それまでにできる成果はすべて積み上げようと考えていました。

    大阪での日々はどのようなものでしたか。それ以前の経験と違いはありましたか。

    既存の人間関係がないと話が前に進まない。まるで砂漠に放り込まれて、一から獲物を探しているような感覚でした。

    それでも、自分で決めた目標設定と新規率は外さないと決めていました。大卒の同期の給料の倍をもらう、という目標のために、日々の行動量と成果のバランスを数字で縛りました。

    給料は大卒の同期が20万円程度のところ、自分は15万円のスタートでしたが、歩合制に切り替えてもらうよう交渉し、入社した月から30万円を超える水準を出せるようになりました。

    1年目の終わりには社内で1位になり、2年目・3年目とその差をさらに広げていきました。

    朝も昼も同じものを食べる 継続を所与にして生きる理由

    朝食も昼食もずっと同じものを食べているとお聞きしました。継続へのこだわりはどこから来るのでしょうか。

    苦と思わないからだと思います。決めたことを続けることが、そのまま自分の軸になる感覚があって。食事を変えると選ぶ時間が生まれます。選ぶ時間があるなら、別のことを考えたい。それだけのことです。

    目標と規律と継続、この3つが自分の中心にあって、毎日何をすべきかを淡々とこなすことが、長期的な成果につながると信じています。苦に感じる人もいるかもしれませんが、自分で決めたことだから続けられます。むしろ、決めていないことの方が迷うし、疲れる感覚がある。ランニングも、食事のルールも、継続を目的にしているわけではなく、続けた先に何かが積み上がると知っているからやめられない。それが自分の中での感覚です。

    専門学校時代に、退学寸前の状況からリーダーを引き受けたとお聞きしました。その経緯を教えてください。

    3回欠席したら退学というルールがありました。1年目にそのギリギリまでいってしまって、せっかく親に行かせてもらったのだからと、何かを変えなければと思いました。

    そこで、自分がリーダーをやると手を挙げました。卒業後は同期も先輩もバラバラになるから、学生のうちにリーダーを経験しておきたいという思いもありました。

    朝一番に来て掃除をするなど、先生が来る前から動いていたほか、自分のチームでは情報誌を発行していました。

    また、日経新聞を読んで印刷業界と絡む記事を見つけ、大手企業に学生として取材を申し込み、記事にまとめ、自分たちで印刷して販売するという一連の流れを2カ月に1回こなしていました。

    同じチームのメンバーと納期を守り切った経験は、現在の仕事の進め方に生かされています。

    あの経験が、継続の型をつくったと思っています。やるべきことを決めて、毎回やるだけ。

    先回りして空気を読み、場を整えるコミュニケーションを身につけたのもこの頃で、今では笑い話にしながら振り返ることもあります。

    月300キロを走り続けた一年 コースの登りと下りに事業を想う

    昨年1年間、月300キロのランニングを続けたとお聞きしました。ランニングを選んだ理由を教えてください。

    お金がかからない、1人でできる、言い訳できない。この3つが決め手でした。走るかどうかは自分次第で、天気のせいにも道具のせいにもできない。継続できるかどうかが、そのまま自分への評価になります。

    それに、せっかく走るなら福井の景色を走りたかった。恐竜で有名なエリアを走ると、ワクワクするんです。月間と年間のノルマをそれぞれ決めていて、出勤時の往復7キロも距離に算入しています。生活の中に組み込まれてしまえば、特別なことをしているという感覚がなくなっていく。それが一番続けやすい形だと思っています。

    上り坂も下り坂もあるランニングのコースで感じることが、事業経営と重なるとのことですが、詳しくお聞かせください。

    ランニングには上り坂と下り坂があって、どこまで我慢するかを試される場面が繰り返し来ます。事業も同じで、うまくいく局面とそうでない局面が必ず交互に来る。上りでどれだけ踏ん張れるか、下りで調子に乗りすぎないか。その感覚がランニングとそのまま重なります。

    マラソンで一度目標距離をクリアしたら終わりではなく、次の目標を設定して続けていく。事業でも、100億円が目的ではなくて、その先に何があるかを考え続けることが大事だと思っています。子どもが通う学校の生徒数が100人ほどだった頃、まずここを社員数で超えたいと思っていました。達成したら次は一気に増やしてみようと思う。常に次の目標がある状態が、自分には合っています。

    産業を通じて循環させたい 地域と自分の仕事がつながる感覚

    ご自身の若い頃を振り返って、あの頃の自分に一つだけ伝えるとしたら何を言いますか。

    焦るな、ということだと思います。全部1から10まで自分でやりたくて、渡す勇気がなかったと今は感じています。もっと早く任せていれば、もっと早くスケールできていたかもしれない。

    ただ、自分でやり切ったからこそ見えてきたことでもあります。渡す勇気がなかったのは確かですが、自分でやり続けた時間がなければ気づけなかったこともある。若い頃の自分に言えるとしたら、もう少し早く手放してみろということだと思っています。

    もともとお子さまの会社への入社には慎重なスタンスだったと伺いました。ご長男が入社されたとき、どのように受け止められましたか。

    子どもには入社しないでほしいと思っていた時期がありました。それでも長男が自分で選んで入ったことで、少し考え方が変わりました。

    入ったからといって特別扱いするつもりはありませんが、自分で決めて挑むという姿勢は、むしろ大事にしたいですね。

    地域を盛り上げるうえで、お祭りの支援と、産業としての雇用や給与づくりはどのように位置づけていらっしゃいますか。

    お祭りは文化として大事だと思っています。地域のにぎわいや一体感を生む役割はある。

    ただ、スポンサーとして参加することを求められる機会が増えるほど、「スポンサーをしたからといって地域経済を変えられるのか」という疑問も積み重なってきました。

    自分がコミットしたいのは、地域の事業者が利益を出し、雇用を増やし、給料を上げることで経済循環をつくることです。

    福井に本社を置き、ここで雇用をつくり続けることの方が、自分にとっては地域への貢献に直結する感覚があります。福井にいながら東京の仕事をしよう、東京の会社に負けないようにやっていこう、という言葉を社員に伝え続けているのも、その考えにつながっています。

    若い頃は手放す勇気が足りなかった分、今は仕組みと人に任せる方向へ重心を移しつつあります。地域も同じで、一過性の熱量だけでは続かない。祭りが持つ価値は認めたうえで、現場で回る産業の力を重んじたいと考えています。

    継続する力と地域への想いを持ち続ける平林社長を、これからも応援しています。本日はありがとうございました。

    平林代表の継続する力が、どのように会社(チャンスメーカー)の事業変革につながっていったのか。A面では、工場停止から始まった同社の軌跡を詳しく紹介しています。

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