燕三条の工具メーカーが「競争しない」選択で描く海外への新戦略

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「よそと競争のないところのものを作って、自分たちで値段をつけたい。」
こう語るのは、新潟県三条市に本社を置くトップ工業株式会社の代表取締役社長・石井真人氏。1939年に創業したトップ工業株式会社は、燕三条エリアを地盤にスパナやモンキレンチから電動工具用先端工具まで、職人が仕事で使う道具の設計・製造・販売を一本の柱にしてきた老舗メーカーだ。

電動化と海外製品の台頭が続く作業工具市場において、かつて輸出が主力だった同社は一時、貿易比率が全体の3%まで縮小するという局面を経験した。しかしその苦境が多品種少量・ニッチという独自の軸を鍛え直し、今また海外販路の再構築へと踏み出している。

ニッチ戦略の核心、燕三条の協力工場との共存関係、スローガン「つくるよろこび」が生まれた舞台裏、DXの実像、そして台湾展示会で証明されたブランドの可能性まで、石井社長の言葉で辿った。

平塚 一樹
loconomiQ 編集者 ソウルドアウト株式会社
平塚 一樹 KAZUKI HIRATSUKA

1990年生まれ。宮城県塩竈市出身。福島大学卒。2013年にソウルドアウト株式会社へ新卒入社。成果改善支援室(現:クリエイティブソリューション部)を経て、営業部に異動。新規営業・既存営業、チームマネジメントを経験し、2017年上期 社長賞を受賞。入社時より希望していた仙台営業所の立ち上げを2018年6月に有言実行する。立ち上げ半年で営業所を軌道に乗せ、全国6拠点を束ねるエリアグロウス戦略推進部を立ち上げ、部長に就任。2020年3月より、東京の既存営業部部長を経て、7月よりデジタルマーケティング第一支援本部 本部長に就任。その後、2021年4月より不動産・金融・教育・BtoBの顧客に特化したリードビジネス本部を立ち上げ、本部長と金融部部長を兼任。2022年4月より現職。

目次

    輸出撤退から国内再構築へ 多品種少量が生んだ独自の居場所

    まずは、現在の主力事業と、事業の広がりについて教えてください。

    創業以来、作業工具の製造販売を一本の柱にしてやってきました。スパナやモンキレンチといった汎用工具が長らく主力でしたが、電動工具が普及する中で30年ほど前から、手で締めていた作業を電動工具に置き換える流れが始まりました。
    今では電動工具の先端に取り付ける先端工具が売上全体の3分の1ほどを占めています。

    実は私が30代の頃、東京の問屋さんを担当しながら自分でアダプターを組んで納めていたところ、金物屋さんから「特注で作れないか」と相談されたのが先端工具の発端でした。現場からの声を拾って形にしていくのは、開発の基本的なスタンスとして今も変わりません。

    かつては輸出が主力だったとのことですが、国内シフトに至った経緯を教えてください。

    もともとは量産して輸出するのがメインの会社でした。ところが為替の変化や価格競争力の低下が続くうちに、だんだんと輸出の比重を減らさざるをえなくなっていって、最終的には貿易の割合が全体の3%まで落ち込みました。

    そこが転換点になりました。既に確固たる地盤を持つ国内メーカーと正面から価格で戦ってもうちが安く売る意味はないし、そこで競争すれば利益は出ません。それなら他社と競争しなくても済む独自の居場所を作り、値段も自分たちで決められるようにしよう。そう考えて多品種少量生産の路線に舵を切っていきました。私の入社した頃より少し前の社長たちの判断ですが、その考え方は今も会社の根幹にあります。

    多品種少量だとコスト面で難しい部分もあると思いますが、その兼ね合いはどうされていますか。

    確かに、ロットを小さくすれば一品当たりのコストは上がります。だからこそ、単価を安くする競争には最初から参加しないという判断が、そこに内包されているのです。量がそんなに取れなくても、現場で困っている人がいてトップ工業にしか作れないのなら出すべきだと判断することもあります。

    ただ昔は、売れるかどうかをあまり深く考えずに新製品を世に出していた時代があって、ロットごと廃棄することもありました。今は量産に見合った一定のユーザーが確実にいると確認できてから商品化するプロセスが定着しています。

    一方で、例えば去年発売した持ち手が長いタイプのモンキレンチはまったく生産が間に合わないくらい売れました。「長さが必要な現場」は何十年も前からあったのに、専門メーカーのくせに今まで情報が取れていませんでした。工具の専門家として情報収集の大切さをあらためて感じた出来事でしたね。

    協力工場との共存が支える 燕三条のものづくりエコシステム

    表面処理以外は社内で一貫生産していると伺いましたが、同時に地域の協力工場とも広く連携されているとのこと。そのバランスを教えてください。

    社内には一通りの加工設備が揃っていますが、すべての製品を社内ラインだけで作れるわけではありません。随分前から燕三条エリアの多くの協力工場にお願いしながら製品を供給しています。
    大切なのは、加工のノウハウとコスト感覚を自社に持っておくことです。そこが分からないままに外へ丸投げしていては、品質管理も価格交渉もできません。一貫生産できるラインをきちんと自社に残しながら、協力工場と連携する形を保っています。

    もっとも、これは本当に協力工場さんあってのことだと思っています。バラエティに富んだ形で協力工場さんとお付き合いしているという意味では、おそらく燕三条の中でもうちが一番多いと言ってもいいくらいではないかと思っています。

    協力工場との関係に、地域貢献という意識はありますか。

    最初からそういう目的でやったかどうかはわかりません。ただ今となっては意識しています。
    燕三条エリアの工業会には数百社が登録されているくらい、この地域はまだものづくりで成り立っている。下請け的な協力工場がどんどん廃業する流れは全国的にあって、このエリアも例外ではありませんが、それでもまだここの力は大きいです。

    こちらが成立しないと協力工場さんにお願いできないし、逆も然りです。協力いただいている会社さんが望むならば存続できるような方向でパートナーシップを大切にしながらやっていく。その必要があると思っています。
    燕三条というブランドは多くの工場が集まって成り立っていますし、そのブランドを守るためにも、お互いが支え合う関係性を続けていくことに大きな意味があると思っています。

    「つくるよろこび」は社員の言葉 企業スローガン誕生の舞台裏

    2009年に制定されたブランドステートメント「つくるよろこび」ですが、その誕生の経緯を教えてください。

    ちょうどロゴを変更するタイミングで、一緒にスローガンも考えようということになりました。取りまとめ役として関わったのですが、社員みんなにどんな言葉がいいかアイデアを出し合ってもらいました。普段黙々と仕事をしている社員たちが思いのほかたくさんの言葉を書いて出してくれて、それを読んでいるだけでも嬉しかったですね。

    最後に残った候補を、社内で全員が集まれる食堂で発表したんです。そこで「つくるよろこび」が、まったく別の部門の社員3人から、示し合わせることなく出てきました。表記の揺れはあっても言葉が同じで。それには驚きました。

    その言葉を提案した社員はどんな思いを語っていましたか。

    「お客さんが自分たちの作った工具を使って『よかった』と感じてもらえることが一番嬉しい、それが自分の生きがいだ」という話をしてくれました。「自分はそれを心の拠り所にしながらものを作っている」のだと。
    シンプルですが、会社の根っこにある気持ちをそのまま言葉にしてくれたように思いました。「つくる」という言葉には、工具を作るという意味と、工具を使って何かを作るという意味と、両方が重なっていて。シンプルながら意味の重なる良い言葉だと思います。

    正直に言うと、私がスローガンを作りたかった理由のひとつは、対外的な発信というよりも社員に向けてでした。本社に来た当初から、どこか閉塞感があるように感じていて、新しい風を吹き込むきっかけになればと思っていたんです。
    発表の場でみんなが楽しそうにしていたのは、やってよかったという気持ちになれた瞬間でした。今もそのスローガンはそのままロゴに使っています。

    「つくるよろこび」を体現するために、今後の製品開発に向けてまだやれていないことはありますか。

    会社の中でDXを推進する中で「見える化・数値化」という言葉が繰り返し出てきます。
    でも肝心の自社工具の最大の魅力である、使いやすさやバランスといった作業者への優しさはまだ数値化されていない。実際に持ってみれば、うちの工具の方が持ちやすいという感覚があっても、そこに留まっています。それでは「自分たちで言ってるだけじゃん」となってしまう。

    「つくるよろこび」をもっと具体的な形で示せれば、国内だけでなく世界でも新しい需要を開けるはずだという感覚があります。まだまだやっていないことがある、という認識がかえって面白いんですよ。

    DXは社員意識の変革から始めるという信念の実践

    2026年にDX認定を取得されましたが、そもそもDXに取り組み始めた経緯を教えてください。

    もともとDXをしようと思って始めたわけではないんです。会社のあちこちに手直しが必要だと感じていて、生産現場も、営業のあり方も、工場の建物・環境も、協力工場との関係も、あらゆる部分に修正が必要だと思って動いていました。

    それをバラバラにやっていたんじゃダメで、一つの方向に向かうものでなくてはいけない。そのうちにDXという言葉が世の中に出てきて、テレビで見た瞬間に「これって俺がやろうとしていたことだ」と思ったんです。
    いろんなところに分散して考えていたことが、DXという言葉で一気にシンプルになった。それまでの取り組みに名前がついたような気分でした。

    コンサルティング会社に依頼して半年間の準備期間を経た後、システム導入を一度止めたと伺いました。

    半年間やって、関わったメンバーの意識はものすごく変わりました。ただ、それはあくまで関わった一部の社員だけで、大多数の社員はまったく変わっていないままだった。その状態でシステムだけを入れ込んだら大混乱になると判断して、一旦止めました。

    最初にコンサルタントの方に「この半年の取り組みで会社に何が残りますか」と聞いたとき、「関わった人たちは必ず変わります」と言われたんですが、本当にそれだけだった。
    私がDXで目指していたのは、そもそも社員の意識や積極性が変わることでしたから、箱だけ先に持ち込んでもうまくいかないという判断をしました。「地道なDX」という形に切り替えて、できるところからコツコツ進めていきました。時間はかかりましたが、そのプロセスが会社をだいぶ変えてきたと思っています。

    残業削減やトイレの改装など、働く環境への投資を続けてきた理由はどこにありますか。

    工場のトイレが汚いのは当たり前という考え方自体を変えたかったんです。
    「トイレを綺麗にしよう」と提案したら、最初は皆から、事務職員がいる工場以外の場所でのことだと受け取られてしまいました。それでは意味がない。現場の人たちが使うトイレを含めて全てを綺麗にして当然だと思っていました。それを一つのインパクトとして出して、社員への姿勢を示したかったんです。

    残業削減も同じです。残業を減らせば残業代が減り、生産量を維持するには生産性を上げなければならない。そこにDXがつながっていく。社員が気持ちよく働ける環境を整えることが、会社全体を良い方向に動かします。

    よく「社員が大事」と言いますが、私の感覚は少し違って、社員が会社そのものだと思っています。社員のいない会社なんてありませんから。いろんなステークホルダーがいますが、あえて言えば社員が一番大事。

    「欲しくなる工具」を目指して 台湾が示した次の可能性

    先週まで参加されていた台湾NOMA展示会の状況を教えてください。

    燕三条の工芸品メーカーが人間工学を製品の核心的な価値として打ち出している場面を目にして、すごく勉強になりました。工具でもそれができるはずだと思い始めています。

    台湾のスタッフの方たちが出展各社を事前に訪問して、文化や特徴まで吸収しながらブース作りに活かしてくれました。現地では工業系の有名なYouTuberも来てくれて、大いに盛り上がりました。私が長年いろんな展示会に出てきたイメージとはまったく違いましたね。

    展示というより、販売を主体的に代行してくれているような熱量がある。台湾の方たちは日本が好きで来てくれているんですよ。その熱を燕三条ブランドとしてきちんと受け取れたように思います。

    貿易比率は現在5%強と伺いましたが、今後の海外展開の方針を教えてください。

    一時は全体の3%まで落ちていた貿易が、現在は5%強まで戻ってきています。ただ、撤退していた時期に輸出の形がかなりいびつになってしまっていたので、まずそこを立て直すことに数年かけてきました。これからは、いよいよ販売を拡大する方向に具体的に動けると思っています。

    基本的には国内と同じ考え方で、価格で戦うのではなく、トップ工業が本来持っている価値を世界に示す。EUやアメリカは職人が自分で工具を選ぶ文化が強く、最近のニュースを見るとアメリカでも職人のステータスが上がってきているそうですね。
    AIにできない仕事を確かにこなせるプロが評価される社会では、良い工具を選ぶという行動につながっていく。そういう市場に向けてPRしていくことが大事だと思っています。

    今後のものづくりの方向性として、より高付加価値なハイエンドに向かっていくのでしょうか。

    「欲しくなる工具」を目指したい、というのが今の正直なところです。日本のメーカーが作るものはもうどこも良い。だとしたら次に何が必要かといったら、数値で示された性能ではなく、見て、持って、欲しくなるという体験だと思うんです。持っていても別のが出てきたらまた欲しくなるような。

    工具は、プロでもアマチュアでも扱いやすい方が良いですよね。よく「うちの工具はプロ仕様だ」と言っていただけるんですが、実は素人の方が初めてネジを締めてもきちんと締まるような工具を作っているつもりなんです。ゴルフのドライバーも今やプロとアマチュアで同じようなものを使っていますよね。工具でもそういうことが起こせると信じています。

    80年以上の鍛造の技術が生み出す「欲しい」の先に、どんな世界を描いておられるのか、これからが楽しみです。次の記事では、石井氏の歩んできた道のりをたどりながら、中小企業ならではの組織論や経営観を伺います。

    石井社長が語る「競争しないものづくり」や「欲しくなる工具」という感覚は、どのような原体験から生まれたのか。B面では、長岡の職人の家で育った幼少期から、営業時代、代表就任後の葛藤まで、石井社長の半生に迫ります。

    平塚 一樹

    平塚 一樹 KAZUKI HIRATSUKA

    編集後記

    石井社長が語った「欲しくなる工具」という言葉が印象に残りました。工具は本来、機能や耐久性で語られることの多い製品です。しかし同社が見据えているのは、数値だけでは伝わりきらない、見た瞬間、持った瞬間に生まれる納得感や高揚感なのだと思います。

    そこには、BtoBのものづくりにも欠かせないマーケティングの視点があります。性能が良いことは前提になりつつある時代に、選ばれる理由はどこに宿るのか。トップ工業はその問いに対して、現場の声、使いやすさ、燕三条の協力工場との共存、そして社員の思いを重ねながら答えようとしていました。

    「つくるよろこび」という言葉が、作り手だけでなく使い手にも広がっていく。そんな循環を生み出せるかどうかが、これからのブランドづくりの鍵になるのかもしれません。

    国内で磨いてきたニッチな価値が、海外市場でどのように受け止められるのか。トップ工業の挑戦は、ローカルメーカーが世界で選ばれるためのヒントを含んでいるように感じます。

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