職人の家で育った経営者が見立てる
中小企業ならではの組織論

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「私生活の延長線上に仕事があるんですよね。だから何とも思わなかった」
東京営業所時代、倉庫を改築した建物の六畳間に同僚と三人で住み込み、階下に会社がある状況をまったく苦と感じなかった。その理由を問われた、石井代表が発した一言だ。

新潟県長岡市出身。父は木型職人で、神社の境内に隣接した家に育ち、仕事と暮らしが重なり合う日常を原風景に持つ。大学卒業後に就職難の中、偶然ハローワークで見つけた三条の求人に応じてトップ工業株式会社に入社。東京・名古屋での営業時代を経て、2016年に代表取締役社長に就任した。石井代表のキャリアの背後に流れる原体験と、素の姿に迫った。

平塚 一樹
loconomiQ 編集者 ソウルドアウト株式会社
平塚 一樹 KAZUKI HIRATSUKA

1990年生まれ。宮城県塩竈市出身。福島大学卒。2013年にソウルドアウト株式会社へ新卒入社。成果改善支援室(現:クリエイティブソリューション部)を経て、営業部に異動。新規営業・既存営業、チームマネジメントを経験し、2017年上期 社長賞を受賞。入社時より希望していた仙台営業所の立ち上げを2018年6月に有言実行する。立ち上げ半年で営業所を軌道に乗せ、全国6拠点を束ねるエリアグロウス戦略推進部を立ち上げ、部長に就任。2020年3月より、東京の既存営業部部長を経て、7月よりデジタルマーケティング第一支援本部 本部長に就任。その後、2021年4月より不動産・金融・教育・BtoBの顧客に特化したリードビジネス本部を立ち上げ、本部長と金融部部長を兼任。2022年4月より現職。

目次

    職人の父と神社境内の家 仕事と暮らしが一体だった原風景

    長岡市のご実家はどのような環境でしたか。幼少期の記憶を教えてください。

    長岡に金峯神社という歴史のある神社があるんですが、その境内の中に工場兼自宅があったんです。最近になって、それが今の自分の感覚の原点にあるような気がしています。

    父は木型職人で、家のひと部屋をそのまま仕事場にしていました。ベニヤ板一枚で仕切られた隣がいつも仕事場で、常にガンガンと音がしている。職人仲間やお客さんが毎日のように来て、母がお茶を出して、夜中まで父が仕事をしているのが日常でした。

    「今日どこかに連れて行ってやる」と父に約束されていても、お客さんが来ると全部なくなって。でも、不思議と嫌だとは思いませんでしたね。

    当時出入りしていた職人さんたちの記憶はいかがですか。

    職人さんたちと話すのはいつも楽しかったですね。もともと、人の話を聞くのが好きだったんです。その頃は意識していなかったんですが、そういう人たちの話を聞いて育った経験が、あとで工具の営業をやるようになったり、プロのユーザーと向き合うことに自然と馴染めたりした素地になっているのかもしれません。

    入社した頃に何かで「喋るだけが営業じゃない、聞くのも営業だ」という文章を読んで、だったら自分にもできるかもしれないと思ったことがあります。父とは仕事についてほとんど語り合わなかったんですが、あの場に流れていた空気が、今も自分の中に残っているような気はします。

    就職難の時代に三条へ 偶然が引き寄せた出会いと選択

    大学卒業後の就職活動はどのような状況でしたか。

    就職先が見つからない状況でした。東京の大学を出ていたので東京でも少し就職活動をして、いくつか候補もあったんですが、もともと一人っ子なので将来は地元に戻ることも考えなければと思っていて。それで長岡の商工会議所が開いた会社説明会に出向いたんです。

    ただ、そこに来ていた7社のうち5社が「今年は採用がありません」と。長岡での就職はちょっと難しいかなと感じました。

    それでハローワークのファイルをめくっていたら、三条市の会社が3社ほど出てきて、みんな採用していた。そこで見つけたのがトップ工業です。後から振り返れば、偶然ページをめくったら三条の会社が出てきた、それだけのことなんですよね。でもその偶然がなければ今の自分はないわけで、不思議だなと思います。

    もともと工業系に関心があったとのことですが、文系の大学を経てものづくりの世界に入った経緯を聞かせてください。

    文系の自分でも、営業としてものづくりの世界に関われると思いトップ工業に応募しました。もともと、工業高校に行って地元の工場に勤めるか、父の仕事を継ぐかという漠然としたイメージはあって。でも巡り巡って文系の大学に行くことになり、最終的に工具メーカーの営業として戻ってきたんです。

    当時は父の影響というよりも、純粋に自分に合う仕事を探した結果でした。ただ、最近改めて振り返ると、もしかしたら子どもの頃から職人さんたちのそばで育った感覚が残っていて、無意識に引き寄せられた部分もあったのかもしれないと思います。意識していたというより、気がついたらここにいた感覚に近いですね。

    六畳三人の宿舎暮らしで気づいた 私生活と仕事の一体感

    東京営業所にいた時代には、どのような暮らしをされていたのでしょうか。

    東京営業所は、日本橋のすごく良い場所にありました。倉庫を改築した建物で、下が会社、上が住まいという構造でした。

    一番すごかった時期は六畳ほどの部屋に二段ベッドと布団で同僚と三人暮らし。取引先の社員さんが「なんでこんなところに住んでるんだ」と言いながら、わざわざ麻雀をしにきたりして。「お前らよくここに住んでるな」と言われながら「しょうがないじゃないか」なんて話をしていたのを今でも覚えています。

    でも、自分はあまり苦と感じなかったんですよ。あとから思い返すと、子どもの頃の感覚と同じだったんです。仕事場と家が一体になっているのは自分にとって普通でしたから。

    友人にも「私生活の延長線上に仕事があるから何とも思わない」と話していました。当時は深く考えていませんでしたが、最近それを口にして、あぁ子どもの頃の話とつながっていたんだなと気づきました。

    東京から名古屋へ転勤し、その後本社に戻るという流れで代表就任に至るわけですが、就任時の心境を教えてください。

    東京に10年ほどいて、名古屋営業所に転勤して10年ほど過ごし、その後「本社に来い」と言われました。名古屋にいる間は次は大阪か福岡かなと思っていたので、本社への帰還は予想外でした。本社で何をするのか聞いたら、業務部に入ってほしいと。

    社長就任はさらに予想外でした。ずっと、東京営業所で一緒に働いた先輩がいて、その方が社長になるものだと思っていたんです。彼が就任したらこんなことをやろうと内心でいろいろ想像してもいました。

    自分が候補に挙がったと聞かされた時は「先輩じゃないんですか」と聞き返したくらいです。前社長から「よく分かるけど、社長になるのは石井じゃないの?」と言われても、どこかピンとこない気持ちでした。

    就任直後、まず感じた難しさはどんなことでしたか。

    変な言い方ですが、自分がいなくなってしまうんですよ。それまで実務の真ん中にいた自分が代表という役割になると、実行する側に直接入れなくなる分、仕事が進みにくくなる感覚がありました。

    それと、就任してすぐの時期にちょっとやっかいな問題が重なって、それに追われながら経営を始めることになったので、かなり大変な船出でした。ただ、そういう時期があったからこそ、自分がいなくても組織が動く仕組みを早い段階で意識するようになった側面もあります。

    自分の代わりがいる必要はなくて、違う人が違う形で組織を作り上げてくれればいいと思えたのも、そういった経験があってこそだったかもしれません。

    全員を同じ方向に向けようとした失敗と学び直しの時間

    代表就任後の判断の中で、失敗だったと振り返ることはありますか。

    一人も取り残さず、全員がある程度前向きになれる会社にしたいと思って、さまざまな手を打ちました。環境を整えたり、社員に語りかけたり、スローガンを作ったり、DXの準備をしたり。そのひとつひとつの行動には意味があったと思っています。

    でも今振り返ってみると、「全員を同じ方向に向けよう」という発想自体に限界があったように思います。社員の中から理想の経営幹部を育て上げようとしても、そう簡単ではない。当たり前のことなんですが、自分はなかなかそこに気づけませんでした。

    会社の経営という観点で考えた時に、もっと早く別の手があったし、もっと早く打つべきだったというのは、今となっては思います。

    その後、外部人材の登用に切り替えたとのことですが、どのような変化がありましたか。

    外部人材の登用は、4、5年ほど前から意識して動き始めました。外から来た人が前職で持っている経験や視点を持ち込んでくれることで、新しい仕事の進め方が自然に広がっていく。それが組織を変える道だと気づいたんです。

    中小企業は人数も限られているので、誰かが辞めたからといって同じタイプの人で穴を埋めようとするより、違うタイプの人が入ってくることで組織そのものが更新されていく考え方の方が合っていると思っています。中途社員の方に優秀な方が多くてびっくりすることもあって、そこは素直にありがたいですね。

    社員の定着や採用について、今の状況はいかがですか。

    ここ数年も離職はあります。それはそうですよね、世の中全体でそういう時代ですから。私はこれを悪い話とは受け取っていなくて、辞めていく人は別のどこかに入るわけで、逆にここには別から人が来る、という流れになっている。

    組織として人の入れ替わりによって新しい視点が入ってくるという側面もあります。ただ、トップ工業を辞めて新たな環境へ行ったとしても、うちで過ごした時間が何かのプラスになっていてほしいなという気持ちはいつもあります。

    「勘」という言葉で語る 感じ取る力とこれからの素顔

    かつての上司から「お前の勘だけはすごい」と言われてきたとのことですが、ご自身ではどう捉えていますか。

    何十年も前から言われていたことで、正直なところ、自分でもよく分からないんですよね。理論的な説明もできないし、何かを読んで得た知識でもない。ただ、これが必要だと感じるから言う。それがたまたまそういう流れになっていくような感じです。

    テレビでまだ無名のタレントを見て「この人は絶対売れる」と家内に言うと、本当に大ブレイクすることも多くて。「なんでわかるんだ」と言われても答えようがないんです。

    仕事でも同じパターンがあって、自分がグッと興味を引かれたことが後になって来るものになることが多い。DXもそうで、その言葉が世の中に出てきた時に「これって自分がやろうとしてきたことだ」と思いました。

    頭の良い人が自分の感覚を言語化・論理化してくれることで初めて形になる。それが自分のパターンだと思っています。以前は上司にその役割を担ってもらっていたし、今は世の中が言葉を後から作ってくれることもあります。あまり自分だけの力という気はしていません。

    一方で、プライベートはどのように過ごされていますか。

    これといって趣味はないですね。長年飼っていた犬の散歩で近所を歩き回るうちに土手が好きになって、今でも散歩します。木や植物のそばにいると落ち着く。子どもの頃に神社の境内のそばで育ったことと関係しているのかもしれません。山に行くとかキャンプをするとかではなく、身近にある川の土手のようなものが好きなんですよ。

    休日は仕事のことはほとんど考えません。妻と近場をドライブして昼ごはんを食べたり、たまにちょっと遠出したりする。そんな週末が今の自分には合っています。

    でも朝目が覚めると「あの件はやっぱりこうした方がいい」と浮かんでいることがあって、夜に無意識で考えているんだろうと思います。

    10年後、石井社長ご自身はどんな姿でいたいですか。

    会社にはもう関わっていないと思っています。じゃあ何をしているかというと、今まさに考え中なんですよ。妻には「家にいられたら困るから働いて」と言われているんですが、こんな年の者を雇ってくれるところがあるかとも思って。

    ただ、目標とか期限とかに縛られずに「これがやりたいからやる」ということができる暮らしをしたいですね。

    住まいについては、長岡の一軒家は年を取ってからは現実的ではないよね、という話を妻とよくしています。先日、燕三条駅のそばに新しいマンションができるというので、モデルルームを見に行きました。三条は雪が少ないから、と。いずれにせよ、あまり先のことをきっちり決めておかなくても、必要なことが見えてきたら動ける感覚がどこかにあります。

    流れに乗るというか、必要な時に必要なことがわかるというか。ずっとそういう生き方をしてきたということかもしれませんね。

    人と場所と流れに素直に向き合ってきた経営者の、将来を私も楽しみにしています。本日はありがとうございました。

    石井社長の原体験から生まれた“感じ取る力”は、トップ工業のものづくりや海外展開にも息づいています。A面では、価格で競わない多品種少量の戦略、燕三条の協力工場との関係、そして「欲しくなる工具」を世界へ届ける挑戦を紹介します。

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